2 ボクシング理論の要件とされている「同一の日に限る」という要件は、本件のようなフォーラムの場の議論を論じるにあたり、実情を理解しない議論である。
イ パソコン通信のフォーラムでもメーリングリストでも、1日に1回しかアクセスしない人や2、3日に1回しかアクセスしない人もいる。フォーラムにおける議論は、このような人々をも交えて行われ議論が進行していくのであり、このようなフォーラム等の議論の進行の実態を考えるとも「同一の日に限る」という要件は、実情にあわないと考えられる。
ロ さらに、敷衍すれば、「ウェッブでの意見表明に対し、MLで対抗言論するということもあり得る」のであり、「同一の日に限る」というような要件を外し、それよりも「同一の場」と評価し得るための要件を検討するべきである。
3 「対抗言論の理論」が意味を持ち得るとしても、それは行為規範とはなり得ず、事後的な評価規範、裁判規範としての機能、役割を持ち得るに過ぎないものと考えるべきである。
何故なら、「相手が対抗言論し得る可能性があるから、ここまでの名誉毀損的発言は許される」というようなことは許されるべきではない。その場の状況等から、事後的に判断して、「許される」との判断があり得るだけであろうと推測されるからである。
このような論理が仮に妥当するとすれば、「対抗言論の理論」ないし「ボクシング理論・試論」というような、「名誉毀損的発言」について、不法行為ないし犯罪の成立を否定する論理は、個別的かつ具体的な判断に委ねられることとなり、刑法理論でいけ ば、可罰的違法性というような類型的判断の場である構成要件該 当性のレベルで判断するというのではなく、違法性阻却事由として考慮されるべきものであるということとなる。
二 寺中誠氏(犯罪学理論・刑事政策論専攻)
1 名誉毀損罪については、現在の判例多数説によると、「危険犯」とされ、現実具体的に「結果が発生したか否か」を問わず、犯罪が成立するとされている。このような危険犯説に立脚する限り、「対抗言論の可能性の存在等」により名誉毀損罪の成立を否定することは論理的に困難であると考えられる。
何故なら、危険犯説に立脚する限り、現実に名誉が侵害されたか否か、また対抗言論により侵害されかかった名誉の回復がなされたか否か、というようなことは問題とされないからである。
2 対抗言論の理論等は「対抗言論の可能性」ということに意味を 見いだそうとしているが、「対抗言論による名誉回復の可能性」というようなことは、名誉毀損的発言を受けた本人にしか把握できないという致命的な欠陥があるように思える。
このような被害者ないし被害者になりかけた人にしか把握できない事情等により、犯罪の成否を論じること自体に疑問が残る。
判例多数説によると名誉毀損罪は危険犯とされ、その理由として「名誉が侵害されたか否か」というようなことは判断不可能であるということがその根拠とされているが、他方、上記したようなこともその理由の一つにあるのかもしれない。
3 もとより、名誉毀損罪について、危険犯という考え方ではなく、現実に「外部的名誉等」が侵害されることが必要であるとする「侵害犯説」に立脚すれば、「対抗言論の可能性等」を考慮することは論理的に可能であるものの、この立場に立てば「対抗言論」というようなことを持ちだすまでもなく、「対抗言論により外部 的名誉の侵害は克服された、ないし侵害されなかった」という論理で解決することが可能である。
この考え方によれば、「対抗言論」により侵害されかかった名誉が回復された場合には、名誉毀損の罪の未遂ということとなるが、現行刑法上、名誉毀損罪の未遂処罰規定がないことから、結局、罪とならないということとなる。