六 「ボクシング理論・試論」まとめ
1 「対抗言論の理論」の志向するところを違法性の理論の中に有意的に取り込もうとした「ボクシング理論・試論」であったものの、前記のような厳しいともいえる要件を前提とせざるを得ないこととなれば、結論的には「対抗言論の理論」の有意的な取り込みはできなかったこととなるように思える。
2 しかしながら、「対抗言論の理論」という「言論理論の有意性」は否定できないところであり、インターネット弁護士協議会のML上の議論(ilc)の中においても、山内裕之氏は「対抗言論の理論による自由闊達な議論の場の形成、という利益の追求は有意的なものである」旨主張されている(ilc-c:09708)。
もとより、有意性は誰もが認めるところではあるものの、「このような論理は、個人の名誉ないし信用という法益を表現の自由な場の形成・維持のために犠牲にする結果を招来することとなり、疑問が残る。名誉毀損行為の免責事由として対抗言論の理論のみを根拠とすることは難しい。被侵害者が現実に対抗言論・反論をして、自らの名誉の回復に成功した、という事情があれば、それは慰謝料等の損害賠償金額の算定に斟酌することは可能であろうが、現実に対抗言論・反論をしなかった被侵害者に対して、反論すべきだった、という行為責任を課すのは問題がある」旨の反論がなされているところである(亜細亜大学町村助教授ilc-c: 097113、ilc-C:09734)。
3 「対抗言論により自らの責任で自らの名誉の回復を図るべし」というような言論理論が通常一般人の中に当然のものとして一般的に受け入れられるような社会となったときには、「対抗言論の理論」が直接的に「違法性の理論」のなかに組み入れられるのかもしれないものの、現状においては困難である。