二 高橋教授の判決論評について
1 高橋教授は、前記論説の中で、次のように指摘している。
2 地裁判決が名誉毀損に当たると認めたものの中には、例えば次ぎのような文章が存在する。
「やはり公開性とはありがたいもので、世間を騒がせるXことcookieの原体験がやっとわかります。これは要は経済的理由で嬰児殺しをやり、甲斐性がない亭主に飽きて、他に男を作り・・・「依存」(別名・利用価値)がなくなったから、解消したという話ですなあ、これは」
判決はこれを名誉毀損と認定したが、その理由は必ずしも明らかではない。というのは、上の被告の発言は、たしかに誹謗・中傷の響きがあるものの、見方によっては、原告が自ら語った事実を、他の(皮肉な)観点からみればこういう見方も可能だと述べたものであり、原告の主張の説得力を減殺するための個人攻撃・人格批判という可能性も感じられる。実際、被告もこの趣旨の抗弁をしているが、判旨はこれに答えることなく、「本件各発言は、明らかに個人を誹謗中傷する内容であることは明らか」であると結論のみを断定して一蹴している。しかし、本件が、対等な立場での論争という外観をもつケースであったことを考えれば、その外観とは異なり、実質的に対等とはいえない事情があったのか(推測ではあるが、男性優位の社会の延長戦上に生じた論争という性格を帯びていたかもしれない)、対抗言論では対処し得ない事情があったのか、個人攻撃的発言が論争点とは関連性がないと言わざるを得ない事情があったのか、等々について、コンテクストに即してより具体的に説示すべきであったのではなかろうか。
3 「対抗言論の理論」というものを、本件のような「フォーラムの場の論理」として採用すべしという教授の立場からすれば、2記載のような論評がなされるのかもしれない。
4 しかしながら、「違法な行為により、法益が侵害された場合」に民法709条所定の不法行為の成立を肯定する現在の裁判実務の趨勢からすれば、「高橋教授が主張するような議論の土俵」に裁判所は上がらないものと考えられる。 言論理論としては、正当性を誰もが疑わないであろうと考えられる「対抗言論の理論」により、不法行為の成否を語るのであれば、まず、「対抗言論の理論」と「不法行為法理論」ないし「違法性の理論」との関係ないし関連を探求するべきであり、「対抗言論の理論」を不法行為法理論の中に有意なものとして、取り込む必要がある。