強制わいせつの罪等の性犯罪と性的意図の必要性の議論
2017年1月5日
2021/12/8 追記
大阪弁護士会所属
弁護士 五右衛門
一 性的行為対象化基準
結局は,東京地判昭62・9・16判決をどのように理解するのか,,,に尽きるような気がします。
そして,同上判決が,ある答えを導く「言い回し」をしています。
同女を男性の「性的興味の対象として扱い」という表現です。
最高裁昭和45年 1月29日第一小法廷判決における,その行為が「犯人の性欲を刺激興奮させまたは満足させる」という「性的意図のもとに行なわれる」ことを要するという要件を,「行為に置き直し」て見ると,(被害者を女性に限定して考えると)結局は,女性の同意,承諾なく「女性の身体,肉体を,男の性的欲求の対象として取り扱う」ということに尽きるものであり,強制わいせつの罪などにおける保護法益としての「女性の性的自由」とは,「その同意,承諾なく,その身体,肉体を性的行為の対象とされない,という自由」ということとなる。
即ち,強制わいせつの罪の成否は,「加害者が被害者の身体,肉体を性的行為の対象として取り扱ったか否か」という基準により決することが可能となる。
このような考え方は,「性的行為の対象として取り扱ったか否か」という意味で,「性的行為対象化基準」と表現可能であり,加害者が被害者の身体,肉体を性的行為の対象として取り扱うということは,とりもなおさず,加害者は「その性欲を刺激興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行なった」ということとなり,強制わつせつの罪は成立することとなる。
二 最高裁昭和45年 1月29日第一小法廷判決
強制わいせつ罪が成立するためには、「その行為が犯人の性欲を刺激興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行なわれることを要し、婦女を脅迫し裸にして、その立つているところを撮影する行為であつても、これが専らその婦女に報復し、または、これを侮辱し、虐待する目的に出たときは、強要罪その他の罪を構成するのは格別、強制わいせつの罪は成立しない」とする性的意図を必要とする多数意見と入江裁判官の反対意見に示される性的意図は不要であるとする考え方があり,この議論は,この最高裁判決の存在にもかかわらず,決着がついていないようであり,多数学説は性的意図不要とも言われている。
三 東京地判昭62・9・16判決
女性を販売員として働かせる目的で,全裸写真を強制的に撮影しようとした場合,同女を男性の性的興味の対象として扱い性的羞恥心を与えるわいせつ行為であることの認識,すなわち自らを性的に刺激・興奮させる法的意味を有した行為であることの認識が認められる以上,強制わいせつ罪が成立するとしています。
・・・・たしかに、本件犯行の際、被告人には、右Aを全裸にしその姿態を写真撮影することによつて、同女を被告人が営む女性下着販売業の従業員として働かせようという目的があつたことは一応肯認することができる。
「しかし一方、」前掲「証拠の標目」挙示の各証拠を総合検討すれば、「被告人が、右のように右Aを働かせるという目的とともに、同女に対する強制わいせつの意図をも有して本件犯行に及んだことも十分肯認できるというべきである。」すなわち、右各証拠によれば、
1 右Aからすれば、初めて訪れたマンションの一室において、見ず知らずの男性の前で全裸にされ、その写真を撮られることは、若い未婚の女性としてこの上ない性的羞恥心を覚えるものであること
2 被告人は、右写真を自らの手で保管しておくときは、第三者に手渡し、その性的興味の対象として眺めさせることもでき、その意味で右Aの弱味を握つた立場に立つことができること
3 被告人は、右Aがそのような性的羞恥心を覚えるであろうことを十分認識していたのみならず、むしろそれを利用することによつて、同女を被告人の意のままに従業員として働かせようと企んだものであること
4 そのためには、逆に言えば、被告人は右Aをして被告人自身が男性の一人として性的に刺激、興奮するような状態、すなわち全裸のような状態にしなければならず(なお、被告人としても同女の裸につき性的な興味がないわけではなかつた旨、捜査段階において自認している。)、かつ、その撮影する写真も被告人自身が性的に興味を覚えるようなものでなければならなかつたことなどが認められる。
「してみると右Aを全裸にしその写真を撮る行為は、本件においては、同女を男性の性的興味の対象として扱い、同女に性的羞恥心を与えるという明らかに性的に意味のある行為、すなわちわいせつ行為であり、かつ、被告人は、そのようなわいせつ行為であることを認識しながら、換言すれば、自らを男性として性的に刺激、興奮させる性的意味を有した行為であることを認識しながら、あえてそのような行為をしようと企て、判示暴行に及んだものであることを優に認めることができる。」
したがつて、被告人の本件所為が強制わいせつ致傷罪に当たることは明らかである。
四 最高裁第一小法廷昭和45年 1月29日判決
職権により調査するに、刑法一七六条前段のいわゆる強制わいせつ罪が成立するためには、その行為が犯人の性欲を刺戟興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行なわれることを要し、婦女を脅迫し裸にして撮影する行為であっても、これが専らその婦女に報復し、または、これを侮辱し、虐待する目的に出たときは、強要罪その他の罪を構成するのは格別、強制わいせつの罪は成立しないものというべきである。
本件第一審判決は、被告人は、内妻工藤すずが本件被害者山崎道子の手引により東京方面に逃げたものと信じ、これを詰問すべく判示日時、判示アパート内の自室に山崎を呼び出し、同所で右工藤と共に山崎に対し「よくも俺を騙したな、俺は東京の病院に行っていたけれど何もかも捨ててあんたに仕返しに来た。硫酸もある。お前の顔に硫酸をかければ醜くなる。」……と申し向けるなどして、約二時間にわたり右山崎を脅迫し、同女が許しを請うのに対し同女の裸体写真を撮ってその仕返しをしようと考え、「五分間裸で立っておれ。」と申し向け、畏怖している同女をして裸体にさせてこれを写真撮影したとの事実を認定し、これを刑法一七六条前段の強制わいせつ罪にあたると判示し、
弁護人の主張に対し、
「成程本件は前記判示のとおり報復の目的で行われたものであることが認められるが、強制わいせつ罪の被害法益は、相手の性的自由であり、同罪はこれの侵害を処罰する趣旨である点に鑑みれば、行為者の性欲を興奮、刺戟、満足させる目的に出たことを要する所謂目的犯と解すべきではなく、報復、侮辱のためになされても同罪が成立するものと解するのが相当である」旨判示しているのである。そして、
右判決に対する控訴審たる原審の判決もまた、弁護人の法令適用の誤りをいう論旨に対し、「報復侮辱の手段とはいえ、本件のような裸体写真の撮影を行なった被告人に、その性欲を刺戟興奮させる意図が全くなかったとは俄かに断定し難いものがあるのみならず、たとえかかる目的意思がなかったとしても本罪が成立することは、原判決がその理由中に説示するとおりであるから、論旨は採用することができない。」と判示して、第一審判決の前示判断を是認しているのである。
してみれば、性欲を刺戟興奮させ、または満足させる等の性的意図がなくても強制わいせつ罪が成立するとした第一審判決および原判決は、ともに刑法一七六条の解釈適用を誤ったものである。
もっとも、年若い婦女(本件被害者は本件当時二三歳であった)を脅迫して裸体にさせることは、性欲の刺戟、興奮等性的意図に出ることが多いと考えられるので、本件の場合においても、審理を尽くせば、報復の意図のほかに右性的意図の存在も認められるかもしれない。
しかし、第一審判決は、報復の意図に出た事実だけを認定し、右性的意図の存したことは認定していないし、また、自己の内妻と共同してその面前で他の婦女を裸体にし、単にその立っているところを写真に撮影した本件のような行為は、その行為自体が直ちに行為者に前記性的意図の存することを示すものともいえないのである。しかるに、
控訴審たる原審判決は、前記の如く「報復侮辱の手段とはいえ、本件のような裸体写真の撮影を行った被告人に、その性欲を刺戟興奮させる意図が全くなかったとは俄かに断定し難いものがある」と判示しているけれども、何ら証拠を示していないし、また右意図の存在を認める理由を説示していないのみならず、他の弁護人の論旨に対し本件第一審判決には、事実誤認はないと判示し控訴を棄却しているのであるから、
原判決は、本件被告人に報復の手段とする意図のほかに、性欲を刺戟興奮させる意図の存した事実を認定したものでないことは明らかである。してみれば、
原判決は、強制わいせつ罪の成否に関する第一審判決の判断を是認し維持したものといわなければならない。
要するに、原判決には刑法一七六条の解釈適用を誤った違法があり、判決の結果に影響を及ぼすことが明らかであって、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するものと認める。
そして、第一審判決の確定した事実は強制わいせつ罪にはあたらないとしても、所要の訴訟手続を踏めば他の罪に問い得ることも考えられ、また原判決の示唆するごとく、もし被告人に前記性的意図の存したことが証明されれば、被告人を強制わいせつ罪によって処断することもできる次第であるから、さらにこれらの点につき審理させるため刑訴法四一一条一号四一三条により原判決を破棄し、本件を原裁判所に差し戻すべきものとする。
よって、裁判官入江俊郎、同長部謹吾の反対意見があるほか裁判官全員一致の意見により主文のとおり判決する。
裁判官入江俊郎の反対意見は、次のとおりである。
私は、いわゆる強制わいせつの罪に関する刑法一七六条の解釈につき、多数意見と根本的に立場を異にする。私は、本件第一審判決およびこれを是認した原判決の採用した同条の解釈が正当であって、本件上告趣意に対する最高検察庁検察官の弁論における主張も充分理由があると考える。それ故、本件上告は、これを棄却すべきものである。私の右反対意見の理由は、次のとおりである。
一 刑法一七六条が、一七七条、一七八条とならんで、同法一七四条、一七五条に比し、より重い刑を定めたこと、および刑法一七六条の罪が、一八〇条一項により、一七七条、一七八条、一七九条の罪とともに親告罪とされ訴追にあたって被害者の意思が尊重されるべきことを定めている所以は、性的しゅう恥心ないし性的清浄性が、各個人にとって、精神的にも肉体的にも極めて重要な性的自由に属する事柄であり、個人のプライヴァシーと密接な関係をもっているものであることに鑑み、法が特にこのような個人の性的自由を保護法益としたからにほかならないものと考えられる。このことは、改正刑法準備草案が、現行刑法一七四条および一七五条の罪に相当する罪を風俗を害する罪の章下に入れ、同法一七六条、一七七条および一七八条の罪に相当する罪を姦淫の罪の章下に入れて、両者をはっきりと区別していることからも、了解しうるところである。そして、このような個人のプライヴァシーに属する性的自由を保護し尊重することは、まさに憲法一三条の法意に適合する所以であり、現時の世相下においては、殊にこれら刑法法条の重要性が認識されなければならないのであって、これら法条の解釈にあたっては、個人をその性的自由の侵害から守り、その性的自由の保護が充分全うされるよう、配慮されなければならない。
従って、これらの法条の罪については、行為者(犯人)がいかなる目的・意図で行為に出たか、行為者自身の性欲をいたずらに興奮または刺激させたか否か、行為者自身または第三者の性的しゅう恥心を害したか否かは、何ら結論に影響を及ぼすものではないと解すべきである。このことは、当裁判所大法廷判決(昭和二八年(あ)第一七一三号、同三二年三月一三日判決、刑集一一巻三号九九七頁)が、刑法一七五条のわいせつ文書につき、「猥褻性の存否は純客観的に、つまり作品自体からして判断されなければならず、作者の主観的意図によって影響されるべきものではない。」としているのと相通ずるところがあるのである。
ところで、刑法一七六条は、「十三歳以上ノ男女ニ対シ暴行又ハ脅迫ヲ以テ猥褻ノ行為ヲ為シタル者ハ六月以上七年以下ノ懲役ニ処ス十三歳ニ満タサル男女ニ対シ猥褻ノ行為ヲ為シタル者亦同シ」と規定しているのであるから、同条の罪が成立するためには、行為者(犯人)がわいせつの行為にあたる事実を認識し、一三歳以上の男女に対しては暴行または脅迫をもって、一三歳未満の男女に対してはその有無にかかわらず、これを実行すれば必要にして充分であると解すべきである。そして、右にいうわいせつの行為とは、普通人の性的しゅう恥心を害し、善良な性的道義観念に反する行為をいうものであり、ある行為がこの要件を充たすものであるか否かは、その行為を、客観的に、社会通念に従って、換言すれば、その行為自体を普通人の立場に立って観察して決すべきものである。けだし、このような行為が、性的自由の意義を正しく理解しえないと考えられる一三歳未満の男女に対して行なわれたり、一三歳以上の男女に対しては暴行脅迫の手段をもって行なわれたりすれば、それだけで個人の性的自由が侵害されることになるからである。
二 私は、刑法一七六条の罪は、これを行為者(犯人)の性欲を興奮、刺戟、満足させる目的に出たことを必要とするいわゆる目的犯ではないと考える。また、本条の罪をいわゆる傾向犯と解する余地も、まことに乏しいといわざるをえないと思う。たとえ、動機ないし目的が報復、侮辱、虐待であったとしても、その一事は何ら本条の罪の成立を妨げるものではなく、これと同趣旨を判示した第一審判決は正当であり、これを是認した原判決もまた相当であって、何ら所論のような法令違反はない(原判決が、「しかし報復侮辱の手段とはいえ、本件のような裸体写真の撮影を行った被告人に、その性欲を刺戟興奮させる意図が全くなかったとはいえ、本件のような裸体写真の撮影を行った被告人に、その性欲を刺戟興奮させる意図が全くなかったとは俄かに断定し難いものがあるのみならず」と判示したのは、原審が、本件多数意見のような考え方の存在することを顧慮してした念のためのものではないかと考えられるが、私はこれを全く蛇足無用の判示であると考える。)。
多数意見は、本条の罪を目的犯のごとく解するようであり、多数意見によれば、刑法一七六条前段のいわゆる強制わいせつの罪が成立するためには、その行為が犯人の性欲を刺激、興奮させまたは満足させるという性的意図のもとに行なわれることを要し、婦女を脅迫し裸にして撮影する行為であっても、これが専らその婦女に報復し、またはこれを侮辱し、虐待する目的に出たときは、強要罪その他の罪を構成するのは格別、強制わいせつの罪は成立しないものというべきであるというのであるが、私は、上記意見および次の諸点に鑑み、右多数意見には到底賛成できない。
(一) 行為者が一定の目的・意図をもって行為に出ることを必要とする犯罪については、刑法は、その各本条に、「……ノ目的ヲ以テ」(たとえば一五五条一項)とか、「……ヲ為ス為」(たとえば一〇七条)などの要件を付しているのである。ところが、刑法一七六条には右のような文言はなく、明文上において、本条の罪を目的犯であると解すべき根拠がない。
(二) 尤も、一定の目的・意図、すなわち主観的意図が構成要件として明示されていない犯罪でも、構成要件の解釈上、それを必要とするものがないわけではない。たとえば、窃盗罪などの財産犯のごとく、これらの罪については、いわゆる不法領得の意思を必要とするというのが通説であり、また判例である。これは、たとえば窃盗罪についていうと、窃取という構成要件が、単に他人の所持する物を自己の所持に移すという客観的事実だけでなく、それに加えて、その物を自己の物にするという意思を必要とする行為であることによって、はじめてこれを犯罪とする意味が生ずることによるのである。ところが、本条の罪のわいせつの行為については、解釈上、行為者(犯人)自身の性的意図を必要とする理由を見出だしえないことは、すでに前記一において述べたとおりである。すなわち本条は、個人(被害者)の性的自由を侵害する罪を定めた規定であり、その保護法益は個人のプライヴァシーに属する性的自由に存するのであって、相手方(被害者)の性的自由を侵害したと認められる客観的事実があれば、当然に本条の罪は成立すると解すべく、行為者(犯人)に多数意見のいうような性的意図がないというだけの理由で犯罪の成立を否定しなければならない解釈上の根拠は、本条の規定の趣旨からみて、到底見出だしえないのである。
(三) 多数意見によると、相手方(被害者)の性的自由が侵害されている場合でも、行為者(犯人)に多数意見のいうような性的意図がないときは、本条の罪としては処罰できないことになるのであるが、かくては、刑法が、性的自由の保護を、財産行為の自由の保護(強盗罪に関する二三六条、恐喝罪に関する二四九条参照)および公務員の職務行為の自由の保護(職務強要罪に関する九五条二項参照)などとともに、その他一般の行為の自由の保護(強要罪に関する二二三条参照)と区別して、特に重く保護しようとしている趣旨が没却されることになる。すなわち、多数意見のように本件行為を強要罪に関する刑法二二三条によって処断するとすれば、その刑は三年以下の懲役にすぎないこととなり、刑法一七六条該当の行為が六月以上七年以下の懲役にあたるとされていることと対比し、極めて均衡を失することとなる。本条は、行為者(犯人)に多数意見のいうような性的意図が必要とされるという点からではなく、相手方(被害者)の性的自由が侵害されるという点から、強要罪に関する刑法二二三条の特別規定となると理解してこそ、はじめてその法意が生かされることになると考えるのである。
(四) 多数意見によると、相手方(被害者)の性的自由が侵害されている場合でも、行為者(犯人)に多数意見のいうような性的意図がないときは、非親告罪である強要罪その他の罪として訴追され、審理、判決されることになって、刑法一八〇条一項が、性的自由の侵害を内容とする罪を特に親告罪として、訴追にあたって被害者の意思を尊重すべきものとした趣旨が没却される点も、まことに不合理といわなければならない。
三 これを本件についてみるに、第一審判決およびこれを是認した原判決が適法に確定した事実関係の下において、また、記録に現われた諸証拠を照合すれば、本件で問題とされている行為は、まさに刑法一七六条前段の要件を充たすものというべきである。
以上の理由により、私は上告趣意中、判例違反をいう点については、引用の判例は、本件に適切でなく、正当な上告理由にあたらないとする点において多数意見に同調するが、その余の点については、多数意見には反対であり、本件上告はこれを棄却すべきものと考える。
五 某教授の問い
先生の「女性の身体,肉体を,男の性的欲求の対象として取り扱う」という部分は、世の中の「男一般」ですよね?
加害者が被害者に対して行った行為が、一般人から見ても「性的行為」だと評価できるような場合は何も問題はないんだと思います。その場合は、行為者の側に改めて「性的意図」を要求する意味もないわけですから、故意における「意味の認識」として処理することが可能だと思います。
問題となるのは、行為者に特殊な性癖があり、その性癖に基づいて違法行為を行う場合です。
たとえば、SM嗜好。
サディストのAは、女性Bを殴ることで性的に興奮しますが、被害者Bにとっては単なる暴行としか認識されない。これは強制わいせつ罪でしょうか?
やはり客観的に〈性的行為〉であることが必要でしょうか? Aは客観的には暴行行為しか行っていないので、暴行罪でよいのでしょうか?
ある裁判例では、女性が嘔吐する姿に性的興奮を覚える性癖がある被告人が、女性を誘拐して、自分の部屋でその女性の口に自分の指を突っ込んで嘔吐させたという事案で、わいせつ目的誘拐罪を認めたものがあります。これは、単なる誘拐+暴行でよいのでしょうか?
特殊なフェティシズム行為も問題。
ブーツを履いている女性のブーツを無理やり舐める行為は、強制わいせつなのでしょうか? あるいは器物損壊罪?
少し前に、車の調子が悪いとだまして運転席に座らせ、助手席から無理やりその女性の足を舐めた「足舐め事件」がありましたが、これは微妙なケースですね。強制わいせつ罪でしょうか? それとも暴行罪あるいは強要罪でしょうか?
常習的な下着泥棒(常習窃盗)は、性犯罪なのでしょうか?
さらに、たとえば、寝ている女性に向かって射精したという事案で、準強制わいせつ罪を認めた裁判例があります。これはこれで納得できるようですが、これが射精ではなく、小便をかけた場合はどうでしょうか? 行為者は、女性に放尿することで性的快感を得ているとして、これは、強制わいせつ罪でしょうか? それとも、客観的には〈性的行為〉とはいい難いので、暴行罪でしょうか? 常習的にこれを行っていた場合はどうでしょう? また、スカトロジーの場合は?
また、低年齢の児童に対する場合(ペドフィリア)も問題になります。
警察庁「平成27年の犯罪」によると、強制わいせつ罪の認知件数6755件のうちで、0歳から12歳までの強制わいせつ罪の被害者は806名であり、特に0歳から5歳までの乳幼児の被害者は75名にものぼっています。これらの行為を性犯罪として厳しく断罪すべきことは当然のことですが、これらの行為について行為者の〈異常な性癖〉を考慮することなく、客観的に「普通人」の感覚で評価するならば、これらの行為は決して「わいせつ行為」と評価できるものではありません。これらは児童に対する虐待行為そのものであって、わいせつといった性的な文脈に位置づけられるようなものではありません。これらの行為に「性的な意味」を付与するのは、一般人がおよそ性の対象とすることのない児童に対する〈行為者の異常な性癖〉です。低年齢の児童に対するわいせつ行為を考えるに際しては、児童の性的しゅう恥心も、児童の性的自由(性的自己決定権)も意味を持たず、もっぱら〈行為者の性的意図〉が不可欠の要素となってきます。
六 某教授の問いと「性的行為対象基準」の適用について
1 問い@
加害者が被害者に対して行った行為が、一般人から見ても「性的行為」だと評価できるような場合は何も問題はないんだと思います。その場合は、行為者の側に改めて「性的意図」を要求する意味もないわけですから、故意における「意味の認識」として処理することが可能だと思います。
東京地判昭62・9・16判決の事例は,行為者の主観的な目的は「性的欲求充足目的行為」はなかったものの,その行為を、客観的に、社会通念に従って、換言すれば、その行為自体を普通人の立場に立って観察して見れば「性的行為」,「被害者を性的行為の対象として取り扱った」と評価可能な側面があったという事案であり,この事例のように,行為者の主観と客観的評価に齟齬があるような場合,「性的行為対象基準」を適用することにより,わいせつ行為を認定したものであり,また,認定すべきものであり,わいせつ行為の認定に躊躇する必要はないと言えるものです。
問いA
たとえば、SM嗜好。
サディストのAは、女性Bを殴ることで性的に興奮しますが、被害者Bにとっては単なる暴行としか認識されない。これは強制わいせつ罪でしょうか?
やはり客観的に〈性的行為〉であることが必要でしょうか? Aは客観的には暴行行為しか行っていないので、暴行罪でよいのでしょうか?
暴行罪でよいでしょう。
刑法は,心を処罰するものではありません。
問いB
ある裁判例では、女性が嘔吐する姿に性的興奮を覚える性癖がある被告人が、女性を誘拐して、自分の部屋でその女性の口に自分の指を突っ込んで嘔吐させたという事案で、わいせつ目的誘拐罪を認めたものがあります。これは、単なる誘拐+暴行でよいのでしょうか?
誘拐+暴行でよいでしょう。
もちろん,女性の口に指を突っ込むという行為について,「性的対象として取り扱った」との評価も可能であると通常一般人が感じるように至れば,別の話です。
問いC
特殊なフェティシズム行為も問題。
ブーツを履いている女性のブーツを無理やり舐める行為は、強制わいせつなのでしょうか? あるいは器物損壊罪?
少し前に、車の調子が悪いとだまして運転席に座らせ、助手席から無理やりその女性の足を舐めた「足舐め事件」がありましたが、これは微妙なケースですね。強制わいせつ罪でしょうか? それとも暴行罪あるいは強要罪でしょうか?
これらの行為については,通常,一般人という視点から見ても,「女性の身体,肉体への性的接触」という評価,「性的対象として取り扱った」との評価も可能な範疇であると考えられることから,わいせつの認定でよいでしょう。
問いD
常習的な下着泥棒(常習窃盗)は、性犯罪なのでしょうか?
客観的的には,単なる常習窃盗でよいでしょう。
問いE
寝ている女性に向かって射精したという事案で、準強制わいせつ罪を認めた裁判例があります。これはこれで納得できるようですが、これが射精ではなく、小便をかけた場合はどうでしょうか? 行為者は、女性に放尿することで性的快感を得ているとして、これは、強制わいせつ罪でしょうか? それとも、客観的には〈性的行為〉とはいい難いので、暴行罪でしょうか?
射精の場合はわいせつ認定でよく,小便の場合にはわいせつ認定は無理でしょう。 「性的行為対象基準」を客観的に適用すればよいのです。
このような事例の場合,「性的行為対象基準」が重宝されることとなるのです。
問いF
幼児の被害者は75名にものぼっています。これらの行為を性犯罪として厳しく断罪すべきことは当然のことですが、これらの行為について行為者の〈異常な性癖〉を考慮することなく、客観的に「普通人」の感覚で評価するならば、これらの行為は決して「わいせつ行為」と評価できるものではありません。これらは児童に対する虐待行為そのものであって、わいせつといった性的な文脈に位置づけられるようなものではありません。これらの行為に「性的な意味」を付与するのは、一般人がおよそ性の対象とすることのない児童に対する〈行為者の異常な性癖〉です。低年齢の児童に対するわいせつ行為を考えるに際しては、児童の性的しゅう恥心も、児童の性的自由(性的自己決定権)も意味を持たず、もっぱら〈行為者の性的意図〉が不可欠の要素となってきます。
相手が,たとえ幼児であったとしても,当該行為の客観的内容から,性的行為と認定すべきものであり,「児童の性的しゅう恥心も、児童の性的自由(性的自己決定権)も意味を持たず」という論法は不適切でしょう。たとえ,幼児であったとしても,(同意,承諾なく,,,同意,承諾できる能力はない〉わいせつの罪により。「性的行為の対象とされない」という保護を付与すべきものでしょう。
幼児に対する性的行為について,単におぞましい行為というのではなく,おぞましい性的行為と把握すべきものでしょう。
七 わいせつの定義,概念など
1 わいせつ行為とは,「普通人の性的しゅう恥心を害し、善良な性的道義観念に反する行為」とされているが,主観的には「犯人の性欲を刺激興奮させまたは満足させる」という性的意図が要求されるものの,その行為が客観的に,通常一般人の視点から見て「被害者の身体,肉体を自己の性的行為の対象とした行為」と言えるか否かにかかるものである(性的行為対象基準)。
2 性的倒錯者の行為の多くは,前段の主観的要件をクリアするかもしれないものの,後段の,通常一般人の視点から見て「被害者の身体,肉体を自己の性的行為の対象とした行為と言えるか否か」という性的行為対象基準をクリアしてはじめて,わいせつ行為であるとの認定がなされるものである。
八 某教授の問いに対する回答
〈具体例について〉
(1) 盗撮は準強制わいせつか?
たとえば、トイレの盗撮、露天風呂の盗撮など、これらは軽犯罪(窃視の罪)ではなく、準強制わいせつなのでしょうか? 単なる窃視と盗撮は異なるのでしょうか?
→「トイレの盗撮、露天風呂の盗撮など」の行為は,
被害者の身体,肉体を「自らの性的行為の対象として取り扱う」という行為と
比較すると,決定的な差異があります。
まず,第一に,前者の場合には,被害者と加害者は,その物理的距離はさておき,同一空間に存在していることが前提となっており,他方,後者の場合には,物理的距離はさておき,同一空間には存在しない,例え,壁,塀,生け垣であったとしても,盗撮者と被害者とは異なった空間に存在している場合が多いものです。この空間の違いが,後者の行為をして「自らの性的行為の対象として取り扱うという行為」にはなり難いものと考えられます。
仮に,盗撮者が被害者と同じ室内にいて,同じ空間にいて,例えば,着用している靴に盗撮カメラをしかけて盗撮をしていたような事例の場合においても,その同じ空間に存在している盗撮者は「被害者の身体,肉体を自らの性的行為の対象として取り扱ってはいない」というような「外形的には,通常の行為を強いられている」はずであり,この点から,盗撮者の行為をして,「被害者の身体,肉体を自らの性的行為の対象として取り扱っている」,「行為」とは評価できないものと思われます。
以上のとおり,トイレの盗撮、露天風呂の盗撮などは,通常の場合,わいせつ犯罪には該当しないこととなります。
(2) さらに、本人には性的意図はなく、盗撮ビデオを「アダルトAV」として販売するつもりがあった場合
この場合は、「被害者を性的行為の対象として取り扱った」と言えるのでしょうか?
→ 言えないでしょう。
「被害者を性的行為の対象として取り扱う」という行為は,当該行為者の主観として,「行為者の性欲を刺激興奮させ,または満足させるという性的意図」の外形上の現れであることが求められるのであり,盗撮ビデオをアダルトAVとして販売する予定があったとしても,上記のような外形上の現れに結び付かないのは理の当然と考えられます。
また,「盗撮者が(このような行為が可能かは別として)被害者を性的行為の対象とする行為」と「盗撮ビデオの購入者が,被害者が撮影されている盗撮ビデオを,鑑賞する行為」とは,全く,別物であることは議論するまでもないことだと思います。
(3) 他の特殊な性的嗜好をもった者に販売する目的で、つまり、特殊な性欲に応える目的でフェティッシュなビデオを制作するケースはどうでしょうか?
たとえば、寝ている女性に放尿する場合は「被害者を性的行為の対象として取り扱った」場合でないとしても、そのような状況をビデオに撮影して「アダルトAV」として販売する、つまり、そのような内容に性的に興奮してマスターベーションを行う客に販売する意図で撮影する場合はどうなんでしょうか? 「被害者を性的行為の対象として取り扱っ」てはいないのでしょうか?
→ 言えないでしょう。
「『被害者を』性的行為の対象とする」という行為と「『被害者が撮影されている映像を』性的行為の対象とする」という行為は,全く,異質な,別のものです。
わいせつ犯罪は,映像を相手とするものではなく,人間を,被害者という生身の人間を相手とする犯罪です。
(4) 先生が書かれている次の部分ですが、
『たとえ幼児であったとしても,当該行為の客観的内容から,性的行為と認定すべきものであり,「児童の性的しゅう恥心も、児童の性的自由(性的自己決定権)も意味を持たず」ということにとらわれるのは不適切でしょう。』
「普通人」の性的意識から、そのような行為を「性的行為」とは認定できるのでしょうか?
乳幼児に対するこのような行為を「性的行為」として議論できるのは、否定したはずの行為者の「性的傾向」を無意識のうちに前提としているからではないのでしょうか?
→ 行為そのものの態様等から,倒錯者の存在をも前提として,通常一般人の,客観的な判断基準からみて,「当該行為について,乳児を性的行為の対象としている」と認定できる場合には,わいせつ犯罪の成立を肯定してよいと思っています。
また、実際には0歳とか1歳の乳児に対する強制わいせつ罪が実際にはあるのですが、そのような乳児に「性的しゅう恥心、性的自由」を仮定するのは、強制わいせつ罪を抽象的危険犯とすることにならないのでしょうか?
→ 刑法が強制わいせつの罪の後段規定という犯罪類型,後段型準強制わいせつという罪を設定し,手段としての暴行,脅迫を要件としないという形にしたのは,「性的しゅう恥心、性的自由」が,現実の感情として,希薄な場合であっても,これらの者に対する,通常一般人が受けたなら「性的しゅう恥心、性的自由」が害されるような行為は許さないというのが刑法の趣旨です。
このような強制わいせつの罪の後段型準強制わいせつという犯罪類型については,「当該行為について,乳児を性的行為の対象としている」と認定できる場合は,14歳以上の人を対象とする場合よりも,事例としては少なくなるのかもしれませんが,それは事実の認定の問題であり,わいせつ犯罪は当然成立するものと理解しています。
強制わいせつ罪を抽象的危険犯とすることにならないでしょうか
→ 刑法解釈の論理が逆転しています。
刑法解釈は,罪刑法定主義のもと,まず条文解釈があり,その整理の一態様として,危険犯等の分類がなされます。
犯罪類型の分類を先行させて,条文解釈の当否を論難するのは,刑法解釈の法理として如何なものかと思います。
(5) 女子高生の「使用済みパンツ」や「唾液」に性的興奮を覚える者がいても、そのようなモノは「わいせつ物」ではありませんので、わいせつ物販売罪は成立しません。乳児の裸もわいせつ図画であはなく「児童ポルノ」としての処罰対象となります。だとすると、乳児に対する「性的行為」も強制わいせつにおける「わいせつ行為」ではないのではないでしょうか?
→ 「乳児の裸はわいせつ図画でないとすると,乳児に対する性的行為はあり得ない」という論旨のように読めますが,到底,理解困難です。
「図画」と「行為」は,異なる評価を受けるものであることは理の当然であると思っています。
また,乳児に対する後段型準強制わいせつという犯罪が成立しないのなら,なぜ,刑法176条後段の定めの中に,「例えば,ゼロ歳から〜 歳は除く」という定めをしていないのでしょうか。刑法の条文を無視し,独自の理論で,刑法条文を否定ないし無視するような論理は正当な刑法解釈論理と言えないことは理の当然ではないでしょうか。
「当該行為について,乳児を性的行為の対象としている」と認定できるような場合には,強制わいせつの罪の後段型準強制わいせつの罪を認めるべきだと思います。それが後段規定を設定した刑法の趣旨であると思っています。
単に「おぞましい行為」という評価ではなく,「おぞましい,性的行為」という評価を直視して,採用すべきものと思っています。
乳児に対しては,後段型準強制わいせつの犯罪の成立を否定するというような立論には,到底,納得できかねるところです。
九 某教授の再度の問いについて
問い
強制わいせつ罪は、暴行・脅迫によって「性的行為」を行うということではなく、暴行・脅迫をもって「わいせつな行為」を行うことを禁じる犯罪です。ですから、行為者において、「自らが『わいせつな行為』を行っているという認識」をもつことが故意の内容です。
回答→ 御意
問題は、これを超えて、行為者の(性欲を満足させるという)「性的意図」や「性癖」(性的傾向)といった主観的な要素が必要なのかということです。
→ 御意
通常の場合には、客観的な(一般人の立場からの)評価と行為者の認識は重なるでしょうから、改めて「性的意図」を要求する意味がありません(この意味では「性的意図不要説」が正しいと思います)。いわゆる「意味の認識」に解消できると思います。
たとえば刑法92条(外国国章損壊等)でも、「外国に侮辱を加える目的」が構成要件的には要求されていますが、構成要件的行為である(外国国旗等への)「損壊・除去・汚損」そのものが侮辱ですので、重ねて「侮辱の目的」を要求する意味がないのと同じです。
また、客観的に(医学的準則にのっとった)医療行為のように、医師が性的な意図をもっていたとしても、わいせつ行為には当たりません。客観的に規範違反行為が存在しないからです。「性的意図」の存在が、客観的に正当な行為を違法とすることはありません(法と道徳の峻別)。
→ 留保
問題は、行為者が自らの異常性欲を違法な行為で充足する場合です。
先生は、
「行為そのものの態様等から,倒錯者の存在をも前提として,通常一般人の,客観的な判断基準からみて,「当該行為について,乳児を性的行為の対象としている」と認定できる場合には,わいせつ犯罪の成立を肯定してよいと思っています。」
と書かれていますが、
この部分を「不要説」だと理解してもよいのでしょうか?
→故意の内容を超える主観的要素は不要という意味なら→御意
また、この行為を「わいせつ」と評価する「客観的基準」とは何なんでしょうか?
→判断主体を通常一般人とし,判断資料については通常一般的に行われているであろう性的行為の内容及び性的倒錯者の行う性的行為の内容等の全てとし,判断対象は当該行為者の行為とし,判断基準は通常一般人の健全なる合理的な判断基準を意味します。
ペドフィリアの場合、「当該行為について、乳児を性的行為の対象としている」と認定できるのは、行為者の性的意図を前提にしてはじめて言えることであって、その限りでは、「性的意図」「性的傾向」を(主観的違法要素かどうかは別として)要求する必要性はあると思います。
→ペドフィリアという言葉を知りません。
→ネット検索して調べました。
(追記)→後記のとおり,判断資料として,ペドフィリアの行動などというものを,知識として使用,利用したうえで判断することとなります。
(追記)→十分な知識,そして資料などがあれば,ペドフィリアの性的意図を前提とするというのではなく,当該行為者がペドフィリアであるとの資料,証拠があれば,当該行為者の性的意図というような内心に踏み込むことなく,「当該行為について、乳児を性的行為の対象としている」と認定すれば足りるものです。
〈追記〉→「前提とする」ということと,「その前提とされたもの(内心のもの)を,犯罪成立の要件として,証拠上認定されなければならない」ということは,峻別すべきものであるし,峻別できるものです。当該行為者の行動などから,そのような内心的なものが行動の一因ないし原因となっている可能性があり,証拠上,例え,その点の確定ができないとしても,少なくとも,当該行為者が被害者をして性的行為の対象として取り扱っていると認定できれば,(そして,その行為について,普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものと認定できるものであれば)わいせつ行為と認定してよいものと考えられます。
そして、強制わいせつ罪では、その「(行為者にとっての!)性的行為」をさらに「わいせつ」と評価しなければならないのですが、その場合は、どのような「客観的基準」に照らして「わいせつ」と評価するのでしょうか?
→既に,今回の議論で申し上げていますとおり,外形的な判断対象は「相手の同意,承諾なくして,相手を性的行為の対象とする行為」であり,その行為が行為者の主観面では「当該行為者の性欲を刺激興奮させまたは満足させる行為」であるものについて,「普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反する」か否かという客観的基準で判断することとなります。
他の異常性欲者についても同じだと思います。
たとえば、行為者が性的興奮を得るために、女性に精液や唾液、尿をかけたりするケースでは、精液と唾液と尿は、どのような客観的基準で区別されるのでしょうか? それとも、すべて同じなのでしょうか?
→かけた液体を科学的に分析すれば足りることです。
なお、私自身も、乳幼児に対する強制わいせつ罪は成立すると思っています。ただし、その場合は、行為者の「性的意図」(性的傾向)が不可欠だと思っています(この限りでは「性的意図必要説」)。そして、乳幼児を性的対象としているという、その破廉恥な行為に対して、一般人が「性的羞恥心、嫌悪感」を抱くということがわいせつなのだと思っています。
女性に尿をかけたり、足をなめたりするなどの行為も同じではないかと思います。
なお、被害女性にとっては、行為者が性欲を満たすためであるなら、精液をかけたのか、尿をかけたのかは違いはないのではないかと思います。
→被害女性からみれば違いはないという側面があることは同意できます。
→しかし,精液をかける行為と尿を掛ける行為は,社会的評価としても,被害者の心理的ダメージとしても明らかに異なるものではないかと思います。
→当該行為が処罰にあたいする行為か否か,どのような刑罰法規に該当するのかという法的判断行うについて,「被害女性にとっては、・・・精液をかけたのか、尿をかけたのかは違いはないのではないか」と述べられ,被害の内容,程度が同じようなものと言われるのであれば,同意致しかねます。
サディストの場合も基本的には同じではないかと思います。
十 わいせつ犯罪立法の経緯
わいせつ犯罪立法の起源は、どこにあったのでしょうか?
何も知りませんが、男の端くれとしては、「男の性衝動に起因する行為」から「女性の身体、肉体を守る」ということが出発点であったとしたら、単に出発点に過ぎないもので、わいせつ犯罪の成立に「性的意図」なんていうものを要求することに特段の意味なんてありゃしない、、、、、、
わいせつの定義付けに、出発点である「性衝動」に固執することなく、「性衝動起因」という一般論としての大きな枠付けの中で、「女性の身体、肉体を守る」ということに、こだわればいいんですよね!!
いずれ、判例も変更されていくでしょう。
「性衝動起因」は、単なる犯罪類型を画する機能になっていく、、、
(但し、「一般論としての大きな枠付け」というような、曖昧なものでの「枠付け」は、法解釈の進化、変遷のなかで、消失していく危険性、可能性があるんですよね。財産犯罪としての詐欺の罪に関する判例をみればわかるでしょう、、、)