捜査機関証拠紛失の法理
大阪弁護士会所属
弁護士 五 右 衛 門
(2012/1/3〜〜)
一 課題
捜査機関が真実発見のための重要証拠を紛失した場合、どう考えるべきなのだろうか、、??
二 結論
違法収集証拠排除の法理と、類似する法理で、「(被告人に有利となるかもしれない重要証拠について)捜査機関証拠紛失の法理」という「新法理」を構築し、「被告人に有利となる可能性のある重要な証拠を捜査機関が紛失などした場合には、裁判所は、捜査機関の責任により適正手続きの実現が不能ならしめられたという理由で、公訴を棄却することができる」。これは憲法31条、37条に由来する法理である。
新年は、この「捜査機関証拠紛失の法理」を刑事裁判に取り入れさせる年だ!!??
三 背景
1 証拠開示制度の浸透、普及
刑事訴訟において、「警察、検察庁等の捜査機関が保持している証拠は弁護側、被告人側に開示されるべきであり、そのような証拠開示こそ、真実発見の有力な手法である」という証拠開示の法理は、浸透、普及していっている。喜ばしいことである。
2 捜査機関による証拠の隠匿、破棄、紛失等
しかしながら、このような証拠開示制度の浸透とともに、他方において、捜査機関による証拠の隠匿、破棄ないし紛失という刑事訴訟制度を否定しかねない重大な事象が起きている。
そして、このような重大な事象が、刑事訴訟当事者一方の内部の問題として、公に議論、検討されないまま闇に葬られることさえある。
この重大な問題を、刑事訴訟の当事者一方の内部の問題として把握するのではなく、刑事訴訟制度の根幹にかかわる、適正な刑事裁判実現を阻害しかねない、憲法37条が国民に保障する適正な裁判を受けるという重要な権利にかかわる問題として認識すべきである。
このように重要な証拠の紛失等は国民の適正な裁判を受ける権利にかかわる問題であるという認識に到達すれば、前記結論が導きだされてくるのである。
四 法理に内在するもの
1 無罪と公訴棄却
本件の「証拠紛失の法理」が受け入れられたとして、その刑事訴訟上の取り扱いとしては、「無罪判決」を目指すという論理と「公訴棄却の判決」を目指すという論理が考えられる。
無罪判決を目指すという方法は、裁判所が「紛失された証拠なしに有罪、無罪の心証をとる」ということを前提とすることとなり、それは「本件証拠紛失の法理が目指すところ」、すなわち「紛失された証拠を除外して、有罪、無罪の心証をとることは、適正手続きに反する行為であり、認めることはできない」という論理と矛盾することとなり、そのような心証形成を容認することはできない。
2 捜査機関に対する非難という意味で、公訴棄却が妥当である。
1記載の論理及び捜査機関に対しその責任を明確にさせるという趣旨で、公訴棄却の判決が正当である。
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迷路
大阪市平野区のマンション一室で母子殺害放火事件が起きたのは平成14年のことだ。 養父の刑務官が逮捕され、出口は見えたはずだった。
だが、死刑を言い渡した2審までの有罪判決を最高裁が破棄。「犯人とするには疑問が残る」と大阪地裁に審理を差し戻した。検察側は23年10月からの差し戻し審でも間接証拠を積み上げ、養父の“ゆがんだ愛情”が犯行の引き金になったと改めて死刑を求刑した。一方、弁護側は「真犯人は別にいる」と無罪に大きな自信を見せる。
判決は今年3月。迷走の末、導かれる答えは−。
事件が起きたのは14年4月14日。大阪市平野区のマンション一室から出火し、焼け跡からこの部屋に住む主婦=当時(28)=と長男=同(1)=の他殺体が発見された。
主婦の死因は犬のリードで首を絞められたことによる窒息死。わずか1歳10カ月だった長男は浴槽で水死させられた。
主婦のジーンズが脱がされ、たんすの引き出しが開けられるなど性犯罪や物盗りを思わせる状況もあったが、わいせつ行為がなされた形跡や金品の被害は見当たらない。
大阪府警は偽装工作とみて犯人像を絞り込む。
特徴的だったのは主婦の夫が出勤した朝の時点と、家具の配置が異なっていたことだ。 南北方向だったソファの向きが東西に入れ替わっていた。主婦が模様替えをしただけかもしれない。ただ室内の様子は、後の裁判で大きな争点として浮上する。
■「ガラス細工」の立件
最初に疑われたのは主婦の夫だ。複数の女性と不倫を重ね「愛人や知人の名義で消費者金融に借金もしていた」(差し戻し審の弁護側冒頭陳述)。一般の夫婦像には遠かった。
だが、夫には鉄のアリバイがあった。出火時間帯は別の女性と外食中。店のエレベーターのカメラに2人の姿が写っていた。
そこで捜査線上に浮かんだのが夫の養父。大阪刑務所刑務官の森健充被告(54)だった。
森被告は夫の借金の保証人として返済を督促されていた。それなのに問題の張本人である夫や主婦は住所を変え、連絡も寄越さない。
森被告は周囲の話から平野区内に転居したと当たりをつけ、当日も1人で夫を探し回っていた、と訴えた。つまり、アリバイがなかった。
ただし、森被告の犯行と断定できる直接証拠もない。
真っ先に動いたのは森被告の当時の妻。事件発生から約1カ月半後、「1日でも早く自首して下さい」との書き置きを残し、家を出た。
大阪府警も14年11月、ついに逮捕に踏み切る。
当時の捜査幹部が「ガラス細工」と自認したように波乱含みの立件だった。
■決め手は吸い殻
森被告は一貫して否認したが、当日の行動は確かに不可解だった。検察側の間接証拠を見てみよう。
(1)平野区内で夫を探していたと言いながら、どこに立ち寄ったか明確でない
(2)午後5〜11時までの間、携帯電話の電源を切っていた
(3)森被告とよく似た人物や被告のものと同じ車が直近で目撃された−。
森被告が主婦への思いをつづった告白文やメモの記載も、疑惑を深めさせるものだった。 「この人に愛されたら、どんなに幸せだろう」「彼女は冷静で清く美しく輝く月だ…月を照らす太陽の存在になって生きて行かねば」
そして、主婦に性交を断られ逆恨みした−。ふとした拍子に殺害に至ってもおかしくないというのが検察側が描く事件の背景だ。幼い長男を殺害したのも犯人が身内だったからだ、と。
決め手となったのはマンション踊り場の灰皿から採取されたたばこの吸い殻。
72本中1本から森被告のDNA型が検出されたのだ。
「マンションに行ったこともない」とする被告の供述と明らかに矛盾する。1、2審はこの吸い殻をもとに被告の犯行と結論づけた。
■最高裁が一蹴(いっしゅう)
だが22年4月の最高裁判決がすべてを覆す。
間接証拠だけで有罪とするには「被告が犯人でなければ『説明できない事実』が必要」との新基準を示し、従来の間接証拠を一蹴した。
DNAが出た吸い殻も、フィルターの変色を理由に「かなり前に捨てられた可能性がある」と指摘。被告本人が捨てかどうかすら明らかではない、とした。
なぜか。殺害された主婦は被告夫妻と同居していた時期があり、森被告の吸い殻入りの携帯灰皿を預けられていた、と弁護側が主張していたからだ。
踊り場灰皿からは、主婦が吸っていたのと同じ「マルボロライト」の吸い殻も4本見つかった。「(この吸い殻から)主婦のDNAが検出されれば、主婦自身が携帯灰皿の中身を捨てた可能性が高くなる」。
最高裁はこう述べ、4本のDNA鑑定を行うなど差し戻し審で審理を尽くすよう求めた。
■「忘れられた証拠」
肝心要の吸い殻の証拠価値が大きく後退し、検察側は一転、劣勢に。そこで持ち出したのが、森被告が逮捕前の任意捜査の段階で作成した現場マンションの「間取り図」だった。1審から提出されていたが、裁判所の事実認定には用いられていない。いわば「忘れられた証拠」だ。
間取り図に書かれていたのは南北と東西、各方向に向けられた2カ所のソファ位置。事件当日に移動される前後の配置だった。カーテンの色など他の記載も、実際の室内と一致した。
森被告は「推測」や「夫(養子)から聞いた話」と前置きして書いたが、夫は森被告が犯人と疑い、虚実をないまぜに説明していた。検察側はこの間取り図そのものが「犯人しか知り得ない秘密の暴露に準じる」と位置付けた。
■巧みな弁護戦術
一方、弁護側はまず検察側証人に鋭い反対尋問を浴びせ、信用性を徹底的に追及した。 元妻が「被告が携帯灰皿を使う場面はほとんど見たことがない」と証言すると、発生当初の府警の報告書から元妻自身のせりふを引用。「『旅行の際、主人が上着のポケットから携帯灰皿を手渡してくれた』と話していますが」と質問し、矛盾点を突いた。
最高裁が問題提起したたばこの変色について、検察側は府警が実施したさまざまな実験結果から「唾液(だえき)などによって短時間でも変色する」と主張したが、弁護側は専門家が実験を監修していないと強調。「科学性のない中学生の夏の課題だ」とこき下ろした。
間取り図については「あくまで推測」と動じる気配もない。「犯人と疑われている被告が、自ら進んで秘密の暴露をするだろうか」
■失われた争点
そもそも差し戻し審の眼目は、最高裁が言及した4本のマルボロライトをDNA鑑定にかけることだった。
しかし最高裁判決後、この吸い殻を含む71本(森被告のDNA型が出た1本を除く)を大阪府警が14年12月の時点ですでに紛失していたことが発覚。最大の争点が失われた。
もし、マルボロライトの鑑定ができていれば、主婦のDNAの有無で、どちらかに軍配が上がっただろう。
弁護側は「意図的に廃棄された疑いもある」と批判した。
検察官の胸中は分からない。いずれにせよ、府警の失態で真相に迫る道がまた一歩遠のいた。
事件発生からもうすぐ丸10年。迷路はますます、複雑になっていく。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/trial/540513/