批判的国家権力という本質を忘れた裁判所
   −−求刑を越える判決量刑の是非−−
 
                2005/5/4加筆
                     大阪弁護士会所属
                           弁護士 五 右 衛 門
 
一 批判的国家権力という本質
 刑事裁判所の使命と本質は、「批判的国家権力である」というところにある。
 社会の秩序を維持し平穏な社会生活を実現するのは、警察、検察などの国家権力の職務であり、使命である。
 このような社会の秩序維持を使命とする国家権力機関である検察の「犯罪者を処罰せよ」との要求について、当該被告人とされた者について、「犯罪を犯したと認めるに足りる証拠があるのか否か」、そして検察の求める処罰要求について、「その要求する処罰内容が正当か否か」を、批判的に検討し、検察等の秩序維持を使命とする国家機関の処罰要求と被告人とされた者の基本的人権の確保の調和を図るのが刑事裁判所の役割である。
 
 刑事裁判所の批判的検討に耐えた検察の処罰要求だけが、秩序維持という目的のため、個人の権利を制限し、場合により、被告人の生命をも奪うことが認められているのである。
 
 国家権力を批判する役割を与えられた「批判的国家権力」、それが裁判所の本質的特性なのである。
 
二 近代司法の当事者主義
 近代司法においては、刑事裁判のみならず、民事裁判においても、主張や立証は当事者の責任において行われることとなっている。
 その第一の理由は、裁く者から、予断と思いこみと偏見を排除し、公正な司法を実現するというところにある。
 この当事者主義構造の採用は、流血の歴史のなかから人間が学んだ「人間の能力に対する不信と個人を信用してはいけない」という人間の知恵が根底にある。
 愚かな人間に、人を裁くという役割を担当させるについて、「その裁く立場の人間には、当事者の主張や提出された証拠についての判断のみをさせる」という発想である。
 公正な裁判を実現するためである。
 
三 批判的国家権力と当事者主義
 上記のような「批判的国家権力としての特性」と「当事者主義構造採用の基本的原理」を踏まえると、憂慮すべき判決が見られる。
 求刑を越える刑事判決の出現である。
 
四 求刑超過判決
 求刑を越える刑事判決が許されるのか否か、刑事訴訟法に明文はない。求刑に刑事判決を拘束する旨の明文がない限り、求刑を越える刑事判決も許されるという解釈があり、そのような立場での判決も散見する。
 
 当該被告人に対し、どのような種類の、どの程度の刑事判決をするべきかは、社会情勢、社会秩序についての現状認識、そして高度の刑事政策的配慮が不可欠である。
 このような多様な諸事情を勘案して社会秩序の維持について責任を負うのは、各方面の国家権力機関との連携をもった行政組織である検察庁であり、検察官である。検察官に、このような使命と責任が負わされているのである。
 
 他面、裁判官は、法と良心にのみ拘束される。職権の独立が認められており、その反面、検察官のような、合目的的な活動、多様な諸機関との合目的的連携は不十分である。
 だからこそ、裁判所は、「検察官の処罰要求の是非を批判的に検討するだけの役割」が与えられている。
 裁判所に社会秩序維持の能力はない。そして、その責任もない。裁判所は、「検察官という国家権力の処罰要求の是非を検討するという役割を担う」ことにより、「批判的国家権力としての使命を果たす」ことにより、秩序維持と人権の調和を図る役割が与えられているのである。
 
五 批判的国家権力としての使命を忘れた裁判所
 
 新聞報道によれば、大阪地方裁判所は平成17年4月14日「少女らに対する性的暴行致傷の罪に問われた19歳の少年に対し、犯行の悪質性から少年法の不定期刑は適当ではないとして、懲役5年〜10年の不定期刑の求刑の事件について、懲役10年の定期刑を言い渡し」、これについて同月27日大阪地方検察庁は「少年法上の誤りがある」として控訴したとのことである。
 
 この事件の被告人に対する具体的な量刑の当否は別にして、
                   このような求刑超過刑事判決をする裁判官は
        錯覚をしている。
 
イ 裁判所の使命、特質は、「批判的国家権力である」ということの理解がない!
ロ あたかも、自らが、社会秩序の維持に責任があると、錯覚している!!
  その能力がないにもかかわらず!!  
ハ 自らの正義感による量刑を是としている!!
  そのような個人的な正義感による量刑を刑事司法は求めていない!!
  刑事司法が求めているのは、検察の処罰要求に対する批判的検討である。
  検察が求めもしない求刑を超過する量刑を、独自に行うようなことを刑事司法は、裁判官に求めていない!!
 
 自ら、その能力もなく、責任をも負えないことに介入する裁判官!!
 
    それは、刑事司法の崩壊である!! 
 
六 原因
 
 上記のような刑事司法の崩壊の原因について、ひとり、裁判官の責任と見るのは不当であろう。
 
 社会情勢認識、合目的的求刑の実現という、責任を負う
  検察庁が、
      その責任を果たしていないとき、
 
  裁判所は
     「批判的国家権力であるという特質」
                  を忘れてしまうのである!!
 
蛇足
 
 本稿を理解できない人に、、極論を述べて、、問うてみよう。
 
          無期懲役の求刑に死刑の判決が許されるのですか、、、と、、
 
    そんな、権限を、、、
            裁判官に 認めているのですか、、??、、と
 
 刑事司法は、、、人間の愚かさを、、
              仕組みで、補おうとしているのです。
 仕組みを無視し、、
         個人の主観で、、裁く、、
                 そんな、、裁判官など、不要である!!
 
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 最高裁は求刑を上回る判決を認めるようである。
 
 求刑3年上回る裁判員裁判の判決、確定へ  2014年09月29日 22時11分
 2012年に山形市で起きた強姦ごうかん致傷事件で、最高裁第2小法廷(山本庸幸つねゆき裁判長)は、検察側の求刑を3年上回る懲役15年を言い渡した1審の裁判員裁判の量刑が妥当だったと判断し、沓沢司被告(33)の上告を26日の決定で棄却した。
 
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<死亡ひき逃げ>裁判官が「求刑軽い」と異例要求 岡山地裁
 
 岡山地裁倉敷支部で公判中の死亡ひき逃げ事件で、懲役3年を求刑した検察側に、裁判官が「軽すぎる」として、法廷外で求刑理由などについて釈明を求めていたことが分かった。検察側はその後、改めて懲役4年を求刑。弁護側は「実質的に求刑を重くするよう命じており、訴訟指揮権の乱用」と批判している。
 起訴状によると、事件は今年3月24日に発生。岡山県倉敷市の市道交差点で、同市の解体工の男(21)が運転する車が、岡山市の女性理容師(当時54歳)の自転車に衝突、女性が死亡した。
 検察側の論告求刑公判は7月5日にあったが、翌6日、裁判官が支部に検察官を呼び「求刑が軽きに失する」と文書で釈明を求めたという。検察側は裁判官の主張に沿う形で論告を追加し、今月26日に求刑を改めた。
 弁護側は「公平な裁判ができない」として裁判官忌避を申し立てていたが、広島高裁岡山支部が棄却。公判では遺族が被告に「本当に反省しているのか」と怒鳴る場面もあったと言い、被告の弁護士は「被害感情への配慮も大切だが、判決で懲役4年を言い渡すこともできたはず。刑事手続きをないがしろにする異例の行為で、理解に苦しむ」と話している。【傳田賢史】
(毎日新聞) - 8月28日18時10分更新
 
「求刑軽い」裁判で判決
当初通りの懲役3年に
 死亡ひき逃げ事件で被告に懲役3年を求刑した検察側に裁判官が「求刑が軽い」と釈明を求め、検察側があらためて懲役4年を求刑した事件の判決公判で、岡山地裁倉敷支部の樋上慎二裁判官は9日、当初の求刑通り懲役3年を言い渡した。
 判決で同裁判官は「求刑は量刑の実際上の上限を決めると言え、実際の量刑は求刑より1ランクないし2ランク低いのが通例」と述べた。
 また弁護側の「裁判官の訴訟指揮は刑事訴訟法に違反する」との主張に「審理が尽くされたものでなければ安易に判決を言い渡せないことは明白」と求釈明の必要性を述べた。 判決によると、業務上過失致死罪などに問われた男性被告は3月24日夜、車で岡山市の女性=当時(54)=の自転車と衝突して逃走。女性は間もなく死亡した。
(共同通信)
 
コメント
 上記裁判官は当初の求刑の上限である懲役3年の判決をしたという。
 それであれば、検察官に対し、当初の求刑について軽すぎるという批判をする必要性はなかった。
 なぜ、当初の求刑について軽すぎると批判して求刑を懲役4年に変更させたにもかかわらず、当初の求刑の上限の量刑を選択したのか。
 当初、懲役3年を越える量刑をすべきであると判断していたが、自らの求刑批判の訴訟指揮に対する批判を受けて、妥協として、当初の求刑の上限という量刑を選択したものと判断されてもやむを得ない。
 裁判官の量刑とはこのようなものである。量刑指標が、根拠もなく、貧弱なのである。
 "我思う、故に、この量刑が妥当である"
       というような非合理的な量刑を放置していいはずはない。
 刑事訴訟の仕組みのなかで、適正、妥当な量刑判断の仕組みを追求することを怠ってはならない。
PS
 上記岡山地裁倉敷支部の控訴審判決である平成18年3月22日広島高裁岡山支部判決は一審の裁判官の求刑が軽いと指摘した訴訟指揮について、「妥当とはいえないが違法とまではいえない」との判断を示した。
 
 
JR脱線「再現狙い」置石 求刑上回る懲役3年の判決
2005年09月10日07時25分
 JR宝塚線の脱線事故から8日後に、同じような惨事を起こそうとJR阪和線の踏切に置き石をしたとして、威力業務妨害罪に問われた住所不定、無職の土居敏之被告(67)の判決公判が9日、大阪地裁であった。遠藤邦彦裁判官は「電車の安全な運行に対する重大な挑戦で、単なるいたずら目的を超えた悪質さがある。検察官の求刑は軽きに失する」として、法定刑の上限の懲役3年(求刑懲役2年)を言い渡した。
 判決によると、土居被告は今年5月3日夕、大阪市東住吉区のJR阪和線の踏切で、下り線の軌道上に幅約21センチの石を置き、京都発関西空港行きの特急列車「はるか43号」を急停止させた。
 土居被告は所持金を使い切った自己嫌悪から自殺しようとしたものの実行できず、宝塚線の脱線事故のような事故を引き起こせば死刑になると思いついたという。
 遠藤裁判官は、被告に12犯の前科があり懲役刑を受けた期間が計29年2カ月に及ぶことから、再犯のおそれが否定できない点も考慮。「他の置き石事例との刑の均衡を意識しなければならない事案ではない」と結論づけた。
http://www.asahi.com/national/update/0910/OSK200509090083.html
 
コメント
上記の判決量刑の当否はわからない。 
しかし、最近、刑事事件を担当して思うことがある。それは、検察官のいい加減さ、無能さである。 
 
「少年法の適用に誤り」
大阪高裁、1審判決を破棄  大阪府内で女児や女性11人に暴行を繰り返したとして、強姦(ごうかん)致傷や強制わいせつなどの罪に問われた内装工の少年(19)の控訴審判決で、大阪高裁は7日、懲役10年の定期刑とした1審大阪地裁判決を破棄し、求刑通り懲役5−10年の不定期刑を言い渡した。 判決理由で仲宗根一郎裁判長は「少年を一定の有期懲役で罰するときは不定期刑で言い渡すと定めた少年法の適用に誤りがある」と述べた。 1審判決は、犯行時18歳だった強姦致傷罪について無期懲役刑を選択した上で酌量減軽し、懲役10年としていた。  しかし少年法の規定では、犯行時18歳未満なら無期懲役刑を懲役10−15年の定期刑に減軽できるが、18歳以上は規定がなく、判決は「酌量減軽しなければ無期懲役を、有期懲役とするなら別の規定で不定期刑を言い渡すほかない」と指摘した。(共同通信) http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2005090700122&genre=D1&area=O10