一事不再理(二重の危険)と公訴事実
 
              大阪弁護士会所属
弁護士 五 右 衛 門
 
一 一事不再理(二重の危険)と公訴事実
       
1 原則
 
 公訴事実が同一である範囲内の犯罪については検察官は同時訴追義務がある。
 公訴事実が同一である場合には、一事不再理の効力が及ぶ。
 
2 下記の場合には、公訴事実が同一であっても、例外として、一事不再理の効力は及ばない。
 
イ 物理的に同時訴追できない、確定判決後の継続犯や常習犯罪の一部犯罪
 
ロ 常習犯罪の場合には、常習性の有無という法的評価により公訴事実の同一性の判断が影響を受けることとなり、それについて、検察官と裁判所とで判断が異なる場合も想定され、その判断不一致に関連して、被告人に有利に処理する(免訴判決)するのか、被告人に不利に処理する(一事不再理の効力外として処罰する)のかという議論となり、最高裁平成15年10月7日判決は、後者の見解を採用するとともに、その理由づけとして、訴因の拘束力という理屈を使用し、結果として、検察官の同時訴追義務を軽減した。
 
二 公訴事実の同一性の判断
 
1 本来、公訴事実の同一性の判断は、具体的な公訴提起行為以前の実体法上の問題であり、公訴提起行為の内容以前のアプリオリなものとして理解されていたはずである。
  だからこそ、公訴事実が同一か否かという判断が、検察官の公訴提起行為の内容の変更、訴因変更の可否の限界を示すものとして機能し、また一事不再理(二重の危険)の限界を画するものとしての機能を有していたはずである。
 
2 しかしながら、一に記載したように、検察官と裁判所で判断の齟齬が生じることがある。
  この検察官と裁判所との判断の齟齬の発生という不可避な事象と一事不再理(二重の危険)の法理との調整が、最高裁平成15年10月7日判決事件の解決すべき問題点である。
  
3 その意味では、本件の問題は、刑事訴訟法理の問題という衣装をまとっているものの、大阪弁護士会の奥村徹弁護士の言われるように「政策的判断が混入する」類の問題かもしれない。それは、憲法上の議論になるのかもしれない。
 
  そして、この問題を、(前記一記載のような例外事象として理解するのではなく)刑事訴訟法理という衣装の枠内で、従前の公訴事実の同一性についての刑事訴訟法理の議論の枠内で処理してしまおうとすれば、慶応義塾大学の安富教授の言われるように「当事者主義の立場から,検察官の訴追裁量権(処分権主義)を前提として,単純窃盗→単純窃盗の場合は,両訴因の形式的比較から公訴事実の単一性を判断すべきであり,検察官が主張していない「常習性」について実体審理に踏み込むべきではないという考え方をとったものである。つまり,当事者主義構造から審判対象は検察官の主張(訴因)であり、検察官の主張について審判しなければならない(訴因の拘束力)ことから、その範囲で(公訴事実の単一性の判断をせざるを得ず)一事不再理の効力が生じるという構造ではないのか」ということになるのかもしれない。
 
 
最高裁平成15年10月7日判決
 弁護人棚町祥吉の判例違反の論旨について
 1 所論は、確定判決の一事不再理効に関する原判決の判断が、所論引用の高松高等裁判所昭和58年(う)第201号同59年1月24日判決・判例時報1136号158頁(以下「本件引用判例」という。)と相反する旨主張する。
 原判決は、本件起訴に係る建造物侵入、窃盗の各行為が、確定判決で認定された別の機会における建造物侵入、窃盗の犯行と共に、実体的には盗犯等の防止及び処分に関する法律2条の常習特殊窃盗罪として一罪を構成することは否定し得ないとしながら、確定判決前に犯された余罪である本件各行為が単純窃盗罪(刑法235条の罪をいう。以下同じ。)、建造物侵入罪として起訴された場合には、刑訴法337条1号の「確定判決を経たとき」に当たらないとの判断を示している。この判断が、同様の事案において、「確定判決を経たとき」に当たるとして免訴を言い渡した本件引用判例と相反するものであることは、所論指摘のとおりである。
 しかしながら、本件引用判例の解釈は、採用することができない。その理由は、以下のとおりである。
 2 常習特殊窃盗罪は、異なる機会に犯された別個の各窃盗行為を常習性の発露という面に着目して一罪としてとらえた上、刑罰を加重する趣旨の罪であって、常習性の発露という面を除けば、その余の面においては、同罪を構成する各窃盗行為相互間に本来的な結び付きはない。したがって、実体的には常習特殊窃盗罪を構成するとみられる窃盗行為についても、検察官は、立証の難易等諸般の事情を考慮し、常習性の発露という面を捨象した上、基本的な犯罪類型である単純窃盗罪として公訴を提起し得ることは、当然である。そして、実体的には常習特殊窃盗罪を構成するとみられる窃盗行為が単純窃盗罪として起訴され、確定判決があった後、確定判決前に犯された余罪の窃盗行為(実体的には確定判決を経由した窃盗行為と共に一つの常習特殊窃盗罪を構成するとみられるもの)が、前同様に単純窃盗罪として起訴された場合には、当該被告事件が確定判決を経たものとみるべきかどうかが、問題になるのである。
 この問題は、確定判決を経由した事件(以下「前訴」という。)の訴因及び確定判決後に起訴された確定判決前の行為に関する事件(以下「後訴」という。)の訴因が共に単純窃盗罪である場合において、両訴因間における公訴事実の単一性の有無を判断するに当たり、〈1〉両訴因に記載された事実のみを基礎として両者は併合罪関係にあり一罪を構成しないから公訴事実の単一性はないとすべきか、それとも、〈2〉いずれの訴因の記載内容にもなっていないところの犯行の常習性という要素について証拠により心証形成をし、両者は常習特殊窃盗として包括的一罪を構成するから公訴事実の単一性を肯定できるとして、前訴の確定判決の一事不再理効が後訴にも及ぶとすべきか、という問題であると考えられる。
 思うに、訴因制度を採用した現行刑訴法の下においては、少なくとも第一次的には訴因が審判の対象であると解されること、犯罪の証明なしとする無罪の確定判決も一事不再理効を有することに加え、前記のような常習特殊窃盗罪の性質や一罪を構成する行為の一部起訴も適法になし得ることなどにかんがみると、前訴の訴因と後訴の訴因との間の公訴事実の単一性についての判断は、基本的には、前訴及び後訴の各訴因のみを基準としてこれらを比較対照することにより行うのが相当である。本件においては、前訴及び後訴の訴因が共に単純窃盗罪であって、両訴因を通じて常習性の発露という面は全く訴因として訴訟手続に上程されておらず、両訴因の相互関係を検討するに当たり、常習性の発露という要素を考慮すべき契機は存在しないのであるから、ここに常習特殊窃盗罪による一罪という観点を持ち込むことは、相当でないというべきである。そうすると、別個の機会に犯された単純窃盗罪に係る両訴因が公訴事実の単一性を欠くことは明らかであるから、前訴の確定判決による一事不再理効は、後訴には及ばないものといわざるを得ない。
 以上の点は、各単純窃盗罪と科刑上一罪の関係にある各建造物侵入罪が併せて起訴された場合についても、異なるものではない。
 なお、前訴の訴因が常習特殊窃盗罪又は常習累犯窃盗罪(以下、この両者を併せて「常習窃盗罪」という。)であり、後訴の訴因が余罪の単純窃盗罪である場合や、逆に、前訴の訴因は単純窃盗罪であるが、後訴の訴因が余罪の常習窃盗罪である場合には、両訴因の単純窃盗罪と常習窃盗罪とは一罪を構成するものではないけれども、両訴因の記載の比較のみからでも、両訴因の単純窃盗罪と常習窃盗罪が実体的には常習窃盗罪の一罪ではないかと強くうかがわれるのであるから、訴因自体において一方の単純窃盗罪が他方の常習窃盗罪と実体的に一罪を構成するかどうかにつき検討すべき契機が存在する場合であるとして、単純窃盗罪が常習性の発露として行われたか否かについて付随的に心証形成をし、両訴因間の公訴事実の単一性の有無を判断すべきであるが(最高裁昭和42年(あ)第2279号同43年3月29日第二小法廷判決・刑集22巻3号153頁参照)、本件は、これと異なり、前訴及び後訴の各訴因が共に単純窃盗罪の場合であるから、前記のとおり、常習性の点につき実体に立ち入って判断するのは相当ではないというべきである。
 3 したがって、刑訴法410条2項により、本件引用判例は、これを変更し、原判決を維持するのを相当と認めるから、所論の判例違反は、結局、原判決破棄の理由にならない。
 なお、所論は、判例変更に関連して憲法39条違反をいうが、後訴における被告人の本件各行為が行為当時の本件引用判例の下においても犯罪であったことは明らかであるから、所論は前提を欠き、刑訴法405条の上告理由に当たらない。
 よって、刑訴法408条、181条1項ただし書、刑法21条により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
 
 
4 大阪弁護士会奥村徹弁護士
(5)辻本典央「罪数論と手続法との交錯」鈴木茂嗣先生?古稀祝賀論文集下巻P562
 辻本教授は、訴因対照説に反対されて、実体法上の罪数で決すべきだと主張されている。
 
5 辻本教授の見解が理論的に正当であったとしても、検察官と裁判所との間の見解の齟齬が生じた場合の問題をどうするのかという実務的感覚上の問題が残り、実務上の感覚としては、この問題による不都合(不都合と考えるか否かを含め)を放置はできないもののように思われます。
  換言すれば、例え訴因対照説が不当であったとしても、検察官と裁判所との間の公訴事実の同一性についての判断の齟齬により被告人に免訴判決をしなければならないという結論は、実務上の感覚からは受け入れ難いであろうというということである。その解決の論理の一つが前記一記載の例外論理である。