知られざる
司 法 の 崩 壊
大阪弁護士会所属
弁護士 五 右 衛 門(執筆中)
目次
一 刑事司法の崩壊
1 刑事司法崩壊の始まり
2 刑事司法崩壊の端緒
3 誇りと気概を喪失した検察官と糾問官裁判官
4 裁判員制度に求められるもの
二 民事司法の崩壊
1 民事司法崩壊の始まり
2 民事司法崩壊の端緒
一 刑事司法の崩壊
1 刑事司法崩壊の始まり
イ 今、刑事司法が、大きな音をたてて、崩壊していっている。
従来、言われていた人質司法の問題とか、8割量刑というような類の問題ではない。
「真実を追究し、社会正義を実現する」という刑事司法の根幹が、揺れ動いている。
ロ 刑事司法を健全なものとするか、歪なものにするかは、ひとえに検察官にかかっている。
検察官が、その職務を適正に運用する能力を持っていないと、また適正に運用しないと刑事司法は崩壊する。
ハ 司法に当事者主義、弾劾主義を取り入れたのは、「公正」と「真実発見のため」である。
近代司法においては、刑事裁判のみならず、民事裁判においても、主張や立証は当事者の責任において行われることとなっている。民事訴訟と刑事訴訟においては、この当事者主義構造を採用する理由、根拠に、「私的自治の採用の有無」という基本的な点において異なる点があるが、次の点においては共通の発想がある。
その第一の理由は、裁く者から、予断と思いこみと偏見を排除し、公正な司法を実現するというところにある。
そして、第二に、この当事者構造こそが真実発見に資するという判断である。
そして、刑事訴訟における当事者主義、弾劾主義の採用は、流血の歴史のなかから 人間が学んだ「人間の能力に対する不信と個人を信用してはいけない」という人間の知恵が根底にある。
愚かな人間に、人を裁くという役割を担当させるについて、「その裁く立場の人間には、当事者の主張や提出された証拠についての判断のみをさせる」という発想である。
このような当事者主義を採用した刑事訴訟、弾劾主義刑事訴訟は、刑事裁判所に国家機関として特有の性格を付与することとなった。「批判的国家権力である」というところに、刑事裁判所特有の性格があり、そこに刑事裁判所の使命と本質があることとなったのである。
社会の秩序を維持し平穏な社会生活を実現するのは、警察、検察などの国家権力の職務であり、使命である。
このような社会の秩序維持を使命とする国家権力機関である検察の「犯罪者を処罰せよ」との要求について、当該被告人とされた者について、「犯罪を犯したと認めるに足りる証拠があるのか否か」、そして検察の求める処罰要求について、「その要求する処罰内容が正当か否か」を、批判的に検討し、検察等の秩序維持を使命とする国家機関の処罰要求と被告人とされた者の基本的人権の確保の調和を図るのが刑事裁判所の役割である。 刑事裁判所の批判的検討に耐えた検察の処罰要求だけが、秩序維持という目的のため、個人の権利を制限し、場合により、被告人の生命をも奪うことが認められているのである。
国家権力を批判する役割を与えられた「批判的国家権力」、それが裁判所の本質的特性なのである。
ニ ところが、真実発見のために取り入れた弾劾主義刑事司法において、無能な検察官がいると、国家機関である裁判所は、国家機関であることによる宿命なのか、その使命を忘れ、検察官の後見役に堕することとなり、それは 裁判所が、江戸時代の「お白州」になってしまうことととを意味する。
裁判所、裁判官は、糾問官になってしまうのである。
ホ 糾問官になってしまった裁判所は、検察官の公判活動を指導、補佐し、また検察官の求刑以上の量刑の判決をしだす。
そこには、人間の無能力を真摯に反省した結果、人間の知恵が生み出した弾劾主義は消失している。
人間の無能力への真摯な反省はなく、そこには一個の、洗練されない、"裸の正義感"のみがある。
幾多の流血のうえに、獲得してきた人間の知恵は、生かされていない!!
2 刑事司法崩壊の端緒
イ 警察と検察
警察の捜査の是非を−吟味、検証する−意欲と意思のない−検察官
警察に遠慮し−警察の捜査の問題点を−指摘しようとしない−検察官
ロ 検察の姿勢
捜査の誤りと−正面から−向き合おうとしない−検察官
真実発見よりも−有罪判決取得に−奔走する−検察官
ハ 検察官の個人的資質
事なかれ主義に堕し、検察庁という組織の単なる一構成員に堕し、独立官庁である検察官としての誇りと気概を喪失した検察官
実例を挙げてみよう!!
No1
証人が偽の人、被害者と称する人間の証言が、、嘘であることは
常識で、、わかるのに、、
見て、、見ぬ、、、ふりをする
そんな検察官が、、いることを
No2
使うべき正しい数値は、、0.7947であるのに
書籍の例示の数値が、 四捨五入して、、0.8を使用している
ことから
0.7947を使わず、、 (被告人に不利な) 0.8 を使
用し
弁護人の批判に対し
0.8 でも合理性がある、、、、などと、、、
意味不明の、、わけわからん主張をし
疑わしきは罰せず、、という刑事司法のイロハを知らない
検察官が、、いることを
No3
加療4日間を要する傷害の
傷害−被告−事件について
加療4日なら
常識的には、、、「軽微な、、傷害」とも、、言えるのに
結果は重大
結果は重大
結果は重大!!
という言葉しか、、知らない
日本語の使い方に
疑問を感じざるを得ない
日本語が、、、、わからない
検察官が、、いることを
あなたは、ご存じだろうか??
人の人生に、決定的影響を与える刑事裁判に
こんな 情けない 犯罪者に匹敵する 検察官が関与していることを
そして
刑事裁判が、ねじ曲げられていることを!!
刑事司法について、「誤判の研究」など優れた研究もなされている。
しかし、刑事裁判における誤判や不当な刑事司法を生む原因は、「誤判の研究」というような高度の研究の対象となるようなものでははなく、上記のような、中学生でもわかるような捜査機関、「検察官の人間としての、横着、ないし職務の怠慢」から生じているのが大半である。換言すれば、「検察官の人間としての、横着、ないし職務の怠慢」を排除するような検察庁の組織上の問題を改善させることにより、多くの誤判は防止できるのである。
しかし、残念ながら、検察庁は、上記のような問題を見て見ぬふりをしていると思わざるをえない。
それは、組織上の問題点を外部に話すことを避けるという官僚独特の自己保全の本能なのかもしれない。
二 大岡越前守、糾問官の登場
検察官がその職権を適正、妥当に運用をしないと、裁判官は大岡越前守、糾問官となる。
感情に流されやすい、一部の国民の一時的な喝采を受けたとしても、それは、取り返しのつかない、司法の時代逆戻り、刑事司法の崩壊を招くこととなる。
3 誇りと気概を喪失した検察官と糾問官裁判官
今、
検察官としての誇りと気概を喪失した検察官と大岡越前守・糾問官となる裁判官が
増えている。
そして、そのような検察官、裁判官に致命的な問題点は、その自分自身の問題点に気づこうとしないところにある。
4 裁判員制度に求められるもの
現在の憂うべき刑事裁判の中で、裁判員に求められるのは、刑事裁判所を「批判的国家権力」という原点に戻すことにあり、その中で、検察を徹底的に批判し、検察自身にその問題点を直視し、改善させ、文字通り刑事司法の中核たるべき地位と立場を取り戻させることにある。
5 検察官の誇りと検察庁という組織
イ 元検察官である落合洋司弁護士の言葉
ロ 検察官という職種の実態はどうなんでしょうか。
本省(法務省)組といわれる一部の官僚検察官は華やかな仕事をしておられることは理解できるのですが、他の検察官の実態はどうなんでしょうか。主として警察捜査の上塗り調書の作成をし、検察官仲間の連帯意識もないのでしょうか?? 検察官としての誇りを持てないのでしょうか?
東京地検特捜部のことをマスコミは"最強の捜査機関"、、なんて報道していますが、冗談でしょう。捜査機関としての能力を一番持っているのは警察であることは間違いないでしょう。「警察の捜査があり、そして補充捜査機関としての検察」という表現は、捜査能力に関しても言えることでしょう。もちろん、法律解釈が捜査の重要ポイントである事件は別でしょうが、、、。
現在も、落合弁護士の言葉どおりであったとしたら、検察庁に「刑事司法の中核たるべき地位と立場」を求めるのは、夢物語か。
ハ 最近の無罪判決などについて
(1)前記落合洋司弁護士はそのBlogにおいて次のように記載している。
「無罪判決と言っても、国民の立場に立ちこういった犯罪を犯した疑いが濃厚なので、証拠上の問題はあるものの敢えて起訴して裁判所の判断を求めた結果、無罪になった、という場合は、それほど国民の不信感が募ることはないでしょう。
今、問題となっている無罪事件の多くは、そういったタイプではなく、捜査そのものがいい加減でデタラメだったり、無理筋の事件をそれと承知ででっち上げてしまったり、といったもので、こういうことを繰り返していては、国民の不信感は雪だるま式に膨らんでしまうでしょう」。
(2)落合洋司弁護士の指摘のとおりである。
現在の刑事司法の問題点は、
・ 検察官が警察の捜査に盲目的に追従するのみであり
・ 警察の捜査の問題点の見直しをしようとしないところにある。
・ そして、警察の捜査に問題があったとしても、それを見ようとせず、ただ、ひたすら有罪判決の取得に奔走するところにある。
それは、いわば、検察官に「未必の悪意」とも言うべきものが認められる事例である。
・ 公益の代表者として真実を追究する姿勢はなく、単に起訴行為を正当化することのみに執着する悪しき官僚の姿がある。
・ このような検察の姿勢は、刑事司法を完全に崩壊させるのみならず、検察の姿勢や行動自身、重大な犯罪行為との評価受けるべきものでもある。
(3)検察官の公判活動の具体的な問題点の1,2
・ 事実確定に資すると考えられる弁護人提出の書証等について不同意としたり、検察官提出の書証についての同意と交換条件に同意する旨述べたりする。
公益の代表者としての自覚も意識も欠落している。
・ 警察の捜査段階での、被告人に有利な書証等を隠微する。
犯罪行為であるとさえ言える。
・ 伝聞供述を聞取書にして書証として提出しようとしたりする。二重の伝聞証拠である。こんな書証を提出しようとする検察官の刑事訴訟法についての知識を疑わざるを得ない。
・ 公判担当検察官が、報告書と題して、事実についての報告書を作成して提出しようとする。事実関係については全く経験がないにもかかわらず、作文で、事実を認定しようとする。捜査と公判の事実との関連すら理解できていない。検察官の能力の低下が著しい。
・ 警察段階でのねつ造証拠を見て見ぬふりをする。
このような行為は重大な犯罪行為であり、刑事司法を崩壊させる見過ごすことのできない行為である。
証拠をねつ造した警察官、これを見て見ぬふりをした検察官は、警察官、検察官としての適格がないものとして免職すべきものである。
・ 公判において、検察官の主張を覆す合理的な証拠が提出されても、合理性のある反論すらせず、従前の主張を強引に維持しようとする。自ら責任ある判断ができない。
(4)検察官・警察捜査活動の不当性の見本
鹿児島選挙違反無罪事件は、警察、検察の犯罪的とも言える不当捜査の典型である。
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県警・地検、弁護士懲戒狙い調書化 2007年05月03日08時08分
12人全員の無罪が確定した03年の鹿児島県議選をめぐる公職選挙法違反事件(買収・被買収)の捜査中に、県警と鹿児島地検が、弁護人を懲戒する意図で、接見時の容疑者(当時)と弁護士とのやりとりを調書にしていた疑いが強いことが分かった。実際に、地検は「弁護活動に行き過ぎがある」として国選弁護人2人の解任を鹿児島地裁に申し立て、2人は解任されている。
捜査関係者によると、当時の捜査側は容疑者から「自白」をとるために弁護士を引き離そうと、懲戒を狙ったという。
調書化の意図が懲戒だったことは、朝日新聞が入手した県警の内部文書にも記されている。内部文書は、公判対応について地検と県警が協議した内容を県警側がまとめた。
捜査側が接見時のやりとりを容疑者側から聞き取って作成した調書は75通。「『あなたは(現金を)もらっていないんでしょう。否認しなさい』と(弁護士に)言われた」「『(現金を授受した)会合はなかったと言いなさい』と(弁護士に)言われた」などの内容だった。
弁護側はこうした調書の作成は「接見交通権の秘密を侵害するものだ」として04年4月に国家賠償請求訴訟を提起。これに対し、国側は答弁書などで、(1)容疑者は自発的に接見内容を話した(2)弁護士が容疑を否認するようそそのかした疑いがある――などとしたうえで、この事件での接見内容の調書化は問題ないと主張。いまも係争中だ。
だが、内部文書によると、04年10月末から11月にかけて行われた県警側との公判対策をめぐる協議で、地検側は「(当時、調書化の)指示を出したことは承知しているが、懲戒申請のために『弁護士の悪性を引き出した』ということは口が裂けても言えない」と発言。「懲戒申請目的の資料収集との主張は、何の捜査なのかという反論を呼ぶし、国家賠償請求訴訟に影響を及ぼす」などとして、公判などで懲戒を意図して調書を作成した旨の証言をしないよう県警に求めている。
さらに地検側は「検事から指示があったこと、懲戒請求を考えていると言われたことも証言していい」としながらも、「あくまでも罪の立証に付随して出された指示だったと証言すべきだ」などと指導していた。
内部文書の内容について、地検は「コメントしない」、県警は「何も言えない」としている。
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「コメントしない」という検察幹部は即刻免官すべきであろうし、「何も言えない」という警察幹部は「警察への国民の信頼」という大切な問題を直視すべきである。
暴力団構成員なら、人は警戒し、また健全な社会からの支援や保護も受けられる。しかし、警察、検察の犯罪的行為に対しては、その被害者を保護する力は微弱である。暴力団を排斥する以上に、警察、検察の犯罪的行為は排斥すべきである。
本件に関与した検察官は、検察官としての適格性に問題があると言い切っていいものと思われる。組織的犯罪とも言えるものであり、その組織の責任者に対する厳正な処分が必要である。「とかげのしっぽ切り」では組織犯罪を防止することは困難である。
このような問題に対する的確な措置や対応がない社会は、暗黒の社会に堕することとなる。現代社会は、人間の劣化とともに、暗黒の社会に向かう岐路にあるのかもしれない。
二 民事司法の崩壊
1 民事司法崩壊の始まり
(1)民事司法にも、少しづつ、崩壊の足音が聞こえてきている。
それは、裁判官、裁判所からではなく、民事訴訟法の理念を理解しない、ないし理解しょうとしない、ある意味、やっかいな、訴訟代理人である弁護士らの存在によってである。
弁護士が増員され、供給過剰の時代になれぱ、このようなやっかいな訴訟代理人が増えてくるのかもしれない。
しかし、これは弁護士が増員されたことによるものではない。
やっかいな、本来、弁護士など法曹になって欲しくなかった人間が、(正義よりも自己の欲求充足を優先させる)正義感の欠片も持たない人が、弁護士という職業を単なる収入確保のための手段としか考えない人が、「ひまわりのバッヂ」をつけているからである。
(2)暴力団を専門に訴訟代理する弁護士らもいる。
このような弁護士らは、理屈が立たないような、屁理屈を述べて、請求原因を主張し、また、抗弁を主張する。
このような弁護士の存在により、正当な権利者の権利の実現には、訴訟手続きを経由させられて、時間と費用を費やされる。
しかし、民事司法を崩壊させるのは、決して、このような暴力団専門の弁護士ではない。
(3)民事司法を崩壊させるのは、暴力団専門の弁護士らではなく、逆に、司法研修所で教官をしているような弁護士、大学ないし法科大学院で教官をしているような弁護士の中に(もちろん、その一部の者であるが)、民事司法を崩壊させる、やっかいな、弁護士らが存在するのである。
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