中学生に
   わかるわけがない、著作権法
                   2004/5/3日執筆開始
                   大阪弁護士会所属
                         弁護士 五 右 衛 門
 
PCソフトウェア
 
参照文献など
 知的所有権と独占禁止法・商事法務研究会
 法とコンピューター・法とコンピューター学会
 
 
 本稿は、自分自身の勉強のために整理しているものであり、記載内容の正誤については、関知しません。
 
序論
 世界各国の国民性、国情とそれに影響された著作権に関連する条約、そして各国の商業圧力団体の圧力などにより、ねじ曲げられながら、接木的に、法律を改正しながら、現在に至り、インターネットの爆発的普及により、著作権、著作権法自体の再構築、再構成を余儀なくされるかもしれない、著作権、著作権法など、中学生に理解を求めるのは無理がある。
 中学生のみならず、大人でも、理解困難な、ゾンビのような、「産業・立法府複合体の産物」=著作権法!!
 
 
 
目次
一 よみがえったゾンビ
二 上手な泥棒は、著作権法に捕まらない
・・・・
・・・・・
五 ソフトウェア著作権など 
1 他人の著作物PCソフトウェアの使用、利用
2 使用許諾契約における「購入者は、1台のPCにインストールして使用することができる、ないし許諾する」の意味と解釈
3 海賊版使用と使用による成果物など
 
六 著作権とインターネット
1 排他的複製権と複製による通信
2 受信と複製行為
 
 
七 Winny事件  →→ http://www.zunou.gr.jp/hattori/winny.htm
1 教唆的幇助意思の理論
2 送信可能化権について
     
本文
 
一 よみがえったゾンビ
 
イ 著作権法という法律は、今から30年以上も前につくられているのですが、私たちの日常生活には無縁とも言ってよい法律でした。私たちが生活をするうえで、「著作権法にふれるのではないか 」というようなことを心配をすることなど殆どなかったのです。
 著作権法は、一般の人には、見向きもされない、日陰の法律であったのです。
 
ロ ところが、インターネットの爆発的普及により、この日陰の法律であった著作権法は、私たちの日常生活で、大変重要な法律になってしまったのです。
 日陰の法律から、日の当たる法律へ、、、、著作権法は、ゾンビのように、よみがえったのです。
 インターネットは、子供にでも、簡単に他の人がつくったもののコピーやその加工を可能にしたからなのです。
 
ハ 著作権法は、インターネットという情報伝達手段の普及により、一躍脚光を浴びる法律へと変身したのです。
 ゾンビのような?法律なのです?
 
二 上手な泥棒は、著作権法に捕まらない
 
イ 創作、工夫、著作って、一体、なんでしょう??
  無から有はうまれはしない。人間の知恵は、先人から受け継いできたものであるし、先人から受け継いできた知恵について、少しの飛躍、連続性が一見ないように見えるものを発明などと称しているのです。発明などというものでも、所詮は先人の知恵を若干工夫したものに過ぎないわけです。  
 著作権法が保護しょうとしている著作物なんて、所詮は、このような先人から受け継いだ知恵の変形であるわけです。
 
ロ 従って、他人のつくった著作物を、工夫も努力もしないで、そのまま盗むと著作権法違反となるけれども、その盗む他人の著作物の原型がわからないように工夫をすれば、著作権法違反とはならないのです。
  「創意、創作、創造とは、
            原型を埋没させた
                     盗み」であるわけです。
 
ハ 原型を埋没させる工夫や努力に、著作権法は価値を認めてくれるのです。
 
ニ 著作権法に関して言えば、「ねずみ小僧」のような天才的泥棒になればいいのです。  泥棒のテクニークが、人間の知恵を進化、発展させるのです。
  まかり間違っても、、石川五右衛門のような、失敗をしてはいけないのです。
  著作権法は損害賠償請求、報酬請求という民事的効果のみならず、刑罰をも持つ特別刑法でもあることを忘れてはならないのです。
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・・・・・・・
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ホ 著作権侵害の有無を争う訴訟が頻繁に起きている。著作権者の権利は守る必要がある、、文明の進化のために、、。
 しかし、ときどき、著作権者の言葉に、思わず失笑を避けられないときがある。さも、、「自らが、その知恵と独創力で、、制作したかのような言葉」にである、、。
 あなたは、単に、泥棒のテクニークが優れていただけなんですよ!! あなたが訴訟している相手は、あなたほど、泥棒のテクニークがなかっただけなんですよ!!
 決して、、無から、、あなたが独創したものでもなんでもないのですよ。わかりませんか??
 
 
五 ソフトウェア著作権など
 
1 他人の著作物PCソフトの使用、利用は禁止されていない。 
 
イ 市販されているPCソフトに印刷して添付されている「使用許諾契約書」。
  ここには、「購入者は、1台のPCにインストールして使用することができる、ないし許諾する」というような文言の記載がある。
  これが通常見られるライセンス契約、使用許諾契約書のひな形文言である。
 
ロ この使用許諾について、「これは著作権の支分権として掲げられていない、使用、を許諾するものといわれている」とされる(知的所有権と独占禁止法・49頁、上杉秋則、商事法務研究会)。
  しかし。面白いことに、著作権法には、「他人の著作物PCソフトの使用、利用を禁止する条項はない」 のです。著作権法上、当然のごとくには、他人の著作物PCソフトの使用、利用は禁止されていないのです。
 
ハ 上に記載しました使用許諾契約の文言中、「1台のPCにインストールして」という記載部分に意味があるのです。PCでソフトウェアを使用する場合、通常、そのPCのハードディスクにプログラムをインストールして使用します。この外部記憶装置であるハードディスクにインストール、コピーすることが著作権を侵害することとなるのです。著作権者の複製権を侵害することとなるのです。
 従って、使用許諾契約というのは、「複製を伴う使用」を許諾するというところに意味があるのです。使用許諾契約という表現が、紛らわしいのかもしれません。「複製(インストール)許諾契約」と言った方が表現としてはいいのかもしれませんね。
 上記知的所有権と独占禁止法・49頁に紹介されているような考え方があるのか否か、定かではないが、そのような契約文言の意味不明の解釈は正当ではない。
 
ニ それじゃ〜複製を伴わないで使用してみる。
  例えば、プログラムが収録されたCDロムをCDドライバーに入れて、PCからCDドライバーを作動させてプログラムを作動させた場合はどうか。
 このような使用方法の場合、CDロムに記憶されたプログラムは、PCの内部記憶装置であるメモリなどに記憶されて作動することとなります。しかし、メモリなどに記憶させて作動させても、PCの電源を切るとともに、メモリ上のプログラムは消失します。このような一時的なコピーというか、メモリへの保存は、「複製とは言い難い」と考えられています。複製とは、反復継続して使用可能な状態を作出することが必要と考えられているからです。
 このように、現在の著作権法上では、理屈では、使用許諾を得ないプログラム使用の方法もあり得るのです。
 
2 使用許諾契約における「購入者は、1台のPCにインストールして使用することができる、ないし許諾する」の意味と解釈
 
イ 通常のPCプログラムの使用許諾契約における定型文言である「1台のPCにインストールして使用することができる」という契約条項の「1台のPC」意味が問題となる。
 
ロ 「パソコンソフトの現状」(澤井仁・法とコンピューターNO8・8頁以下)によると、
・ ソフトハウスは厳密な解釈をする場合が多く、文字通り「ユーザーが使う1台のパソコン」を意味すると解釈している。この解釈に従えば、ひとつのソフトを購入し、自宅と会社のPCにインストールした場合には、厳密には契約違反ということとなる。
・ 契約のなかには、契約者が第三者への譲渡や転貸を禁止している場合が多いので、職場に1台しかないPCにインストールし、多くの社員が交替して使用する場合も、厳密に解釈すれば、契約違反ということとなる。
・ しかし、このような解釈を現実の場面にあわせ、1台のパソコンに関しては、「時間的に同時に1台のパソコン使用を言う」と解釈するところも、でてきている。
 
ハ PCソフトの制作販売者が、「1台のPCにインストールして使用することができる」という契約条項は、やはり厳密な意味で解釈するのが契約条項を設けた趣旨に合致すると考えられる。
 しかし、現実には、契約違反であるものの、制作販売者らにおいて、黙認許容していると考えられる使用形態も想定できるような気がする。
 黙認許容範囲その1
  購入者が自宅1台と会社の専属的に使用するPC1台へのインストールとその使用の場合
 黙認許容範囲その2
  会社存置PC1台にインストールし、購入者を含む複数の者が使用する場合
 前記の「時間的に同時に1台のパソコン使用を言う、との解釈」も無条件に、採用することも困難である。なぜなら、「例えば、50台のPCにインストールしても、時間的に同時使用がなければよい」とは言えないからである。
 
ニ 制作販売者の想定、許容範囲内か否かの判定の目安は、次のようなものと思われる。
(一) 購入者ひとりが使用することを、当然の前提とする。
(二) 購入者の使用の便宜上(自宅と会社というように使用場所など)、複数PCへのインストールは必ずしも許容の範囲を超えない。
(三) 複数PCへのインストールが認められる場合であっても、同時使用は(一)を逸脱することから、許容できない。
(四) 主として購入者の単独使用を前提とするものであるものの、購入者として社団ないしそれに準じた複数人の団体も肯定することとなるから、その団体の構成員が団体に設置された一台のPCにインストールされたものの利用は許容の範囲内となる。
 この場合には、複数PCへのインストールは認められない。なぜなら、(三)を逸脱するおそれがあるからである。
 
 著者が関係しているB&P頭脳集団制作頒布にかかるPCプログラムについては、この基準を採用している。
 
3 海賊版使用と使用による成果物など
 
 
六 著作権とインターネット
 
1 排他的複製権と複製による通信
 
イ 著作権法が保護する中核的権利は、排他的複製権
 ところが、
  インタ−ネットという新たな通信手段の中核は、複製行為による通信
ロ 著作権法が認める排他的複製権という権利を認めることが憲法に違反しないと考えれば、他方、憲法が認める表現の自由や通信の自由は、憲法・著作権法が肯定する排他的複製権を侵害しない範囲内で認められることとなる。
ハ いろんな人が、研究を開始されているが、「インターネット時代における著作権」をどのように考えていくのか、「表現の自由、通信の自由とインターネット」という問題をどのように考えていくのか。
 憲法論を踏まえた解明が必要である。
 排他的複製権も、憲法が保障する通信の自由や表現の自由により制約を受けるというように、その権利としての保護に限定を加えることとなれば、著作権法全体の見直しが必要となるかもしれない。
 場合によっては、表現の自由や通信の自由についての従来の憲法論の修正を余儀なくされることになるのかもしれない。
ニ ハ記載のような議論や研究は日本国内においては、理論的に可能なのかもしれない。
  しかし、現実には、著作権法は各種条約により国際的な合意がなされ、その条約に立脚して各種国内法、著作権法が制定されている。
  また、日本国憲法は条約を誠実に遵守せよ、と定めていることから、日本国内法のみでの議論は現実的には意味をなさないのかもしれない。
  著作権法の世界においては、
         日本国憲法は
                無力なのかもしれない!!??
2 受信と複製行為
イ 著作権侵害して送信可能化されている著作物と知りつつダウンロード(受信し複製する行為)した場合、排他的複製権侵害となる。
ロ 著作権法第30条(私的使用のための複製)は次のように定めている。
 (1) 著作権の目的となつている著作物は、個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用すること(以下「私的使用」という。)を目的とするときは、次に掲げる場合を除き、その使用する者が複製することができる。
           (略)
ハ 違法送信可能化されていることを知ってクリックダウンロードをする人は、上記著作権法30条所定の「その使用する者」に該当しないことは文言上明らかであるからである。
ニ 「電子商取引等に関する準則(平成14年7月)」によると、「3 . ダウンロード行為  他方、PtoP ファイル交換ソフトを用いて権利者によって許諾されていない音楽等のファイルを他のユーザーからインターネット経由で受信し複製する行為( ダウンロード行為) は、技術的保護手段の回避等によって行ったものではなく、かつ個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内において使用する限り、私的複製に相当し、著作権又は著作隣接権の侵害には当たらないものと解される( 同法第30 条第1 項、第102 条第1 項)。」とされる。
 この解説は重要な部分において著作権法を見落とした不十分ないし問題のある解説である。 
 なぜなら、上記複製行為を許容される著作権法30条所定の「その使用する者」についての文言に反する解釈をする理由の説明が欠落しているからである。
ホ 巷で、「送信は違法であるが、受信は違法ではない」と論調されるのを見ることがある。上記のとおり、「受信した後にHDなどにインストール」すれば違法な場合があるのである。